パクスモンゴリカ 大都1267年
大都、現在の北京の事であり1267年クビライによってモンゴル帝国の首都として作られた。パクスモンゴリカと言われた13世紀から14世紀、モンゴル帝国はユーラシア大陸の大部分をその影響下に置いていた。
杉山氏はモンゴル史の研究家。
クビライ国家構想の眼目は、モンゴル伝統の「草原の軍事力」に、ユーラシア世界最大の「中華の経済力」を合体させ、さらに従来からモンゴルとは共生の関係にあった「ムスリムの商業力」を全面活用した経済支配という新方式であった。現代風にいいなおせば、クビライの新国家は、軍事超大国であって経済超大国であり、かつ超大型の通商立国ということになる。(378ページ)
本書を下にモンゴル帝国の経済および通商面での構造を整理した。
財政政策:重商主義
・塩引(塩の専売制度)による収入が財政の80%、タムガ税という間接税が財政の10%
・通貨:銀錠(2㎏の銀塊)を通貨とし、塩引の引換証(銀と兌換可能な有価証券)による広義のマネーサプライの供給
・間接税の税率は3%
産業育成政策
・ムスリム伝統のオルトク(共同拠出による資本蓄積を伴う国際経済活動を営む営利団体)一言で言えば現在の巨大多国籍企業群。
パクスモンゴリカの繁栄の基盤は現在のグローバルエコノミーの仕組みと極めて似ていると感じさせる。杉山氏の言うとおり、フランス革命を起点とする西欧的国民国家の概念ではパクスモンゴリカを説明しきれない。
追記
北京の9月~10月は「秋高気爽」と称する。