検索されないモノは存在しないのと同じ~分析哲学の視点から
「検索されないモノは存在しないのと同じ」
このフレーズはインターネットという情報インフラを前提にした我々は日々実感しているフレーズであろう。
青山拓央氏は分析哲学の研究者。米国の分析哲学者クワインのフレーズ「存在するとは変項の値になることだ。」を引用しています。(80ページ)
青山氏の解説に従がって整理をすると「存在するとは量化表現(存在そのものすべて、宇宙全体あるいはインターネットの全ページを検索する働らき)の検索結果になることだ。」となる。
存在とはそもそも量化表現で検索されるもの(変項の値)のことであり、それ以外の存在などないからです。すべての存在は、量化表現の検索にたまたま引っ掛かってくるのではなく、むしろ、その検索に引っ掛かってくるものだけが存在です。原理的に、この検索に引っ掛かってこない存在はありません。強調して言えば、存在があってその後に量化表現があるのではなく、量化表現があってその後に存在があるのです。(83ページ)
「検索されないモノは存在しないのと同じ」は「まず言語があって世界がある」という分析哲学で言う言語論的転回を我々に認識させる。