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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々が欲している「間主体的な欲望」とは?~『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 』東 浩紀氏(2011)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

東氏は批評家、2001年当時「オタクから見た日本社会」であったが、いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっている。(2001)

 

動物化とは

欲求とは、特定の対象をもち。それとの関係で満たされる単純な渇望を意味する。たとえば空腹を覚えた動物は、食物を食べることで完全に満足する。・・・しかし人間はまた別種の渇望を持っている。それが欲望である。欲望は欲求と異なり、望む対象が与えられ、欠乏が満たされても消えることがない。・・・男性の女性への欲望は、相手の身体を手に入れても終わることがなく、むしろますます膨らんでいく。他者の欲望を欲望するという複雑な構造を内側に抱えているからだ。・・・人間が動物と異なり、自意識を持ち、社会関係を作ることができるのは、まさにこのような間主体的な欲望があるからにほかならない。(126ページ)

オタクにみる社交性

オタクたちは実際には、他者との接触を避けるどころか、インターネット上のチャットや掲示板、現実世界での即売会やオフ会などを通して、きわめて多様なコミュニュケーションを展開しているのではないだろうか。そしてそこには、他者の欲望を欲望する、という複雑な関係もしっかり働いているのではないだろうか。・・・オタクたちは現実より(アニメなどの)虚構のほうに強いリアリティを感じ、そのコミュニュケーションもまた大部分が情報交換で占められている。・・・(したがってオタクのコミュニュケーションは)そのコミュニュケーションから離れる自由もまたつねに留保している。(137ページ)

ポストモダンでは欲望が存在しない

近代の人間は、物語的動物だった。彼らは人間固有の「生きる意味」への渇望を、同じように人間固有な社交性を通して満たすことができた。言い換えれば小さな物語と大きな物語のあいだを相似的に結ぶことができた。

しかしポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独に満たしている。そこではもはや、小さな物語と大きな非物語のあいだにいかなる繋がりもなく、世界全体はただ即物的に、だれの生にも意味を与えることなく漂っている。(140ページ)

動物化するポストモダン

アメリカ型の消費社会は、「できるだけ他者の介在なしに、瞬時に満たす」(127ページ)ようになっている。他者が介在しないから欲望は解消され得ない。我々の社会は、食欲に始まりあらゆる欲求を動物的に満たすことを追求してきた。それがファーストフードであり、コンビニであり、カテゴリー化された各種サービスであろう。

それでは欲望はどうなるか?欲望は他者との関係性があって成立しうる。東氏はオタクの行動にポストモダンの行動様式を見てとる。オタクは他者の欲望を刺激しうる情報的価値を消費している。情報的価値はアニメなどの形をとるが、その本質は「間主体的な欲望」である。オタクの消費行動は特異な様に見えて、ポストモダンに住む我々の典型的な消費行動パターンなのだと納得が行く。

さらに消費行動をもう一段階掘り下げると、我々が本質的に欲しいものは「間主体的な欲望」、つまり他者との円滑なコミュニュケーションによる共感、あるいは不安の解消、なのだと納得する。

再度一段戻れば、消費とは気持ちよくなるためである。

蛇足

 

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アマゾンは更に動物化を加速させている

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