毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

お金とは他者との適当な距離感を作ってくれるコミュニュケーション・メディアである~『ジンメル・つながりの哲学』菅野 仁 氏(2003)

ジンメル・つながりの哲学 (NHKブックス)

菅野氏は社会学の研究家、ドイツの思想家ゲオルク・ジンメルの「つながりの哲学」=「社会はあらかじめ存在するのではなく、人と人の日々のコミュニケーション=相互作用の集積から生まれるものである」を説明する。(2003)

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ジンメル貨幣論

 

①貨幣の潜在力

私たちにとって貨幣は、可能性そのものとして直観されるため、実際その貨幣にとって達成される享受(=物が買えたり、サービスを受けられたりすること)以上のものを予感させてしまう。

②貨幣の無性格性

(貨幣は)その「無性格性」という性格によって実現される。貨幣はほかのあらゆる財と異なってそれ自身の価値をもたない。つまりそれ自身(紙片)としては有用ではないのだ。

③貨幣は絶対的な手段である

(貨幣は)私と誰かが所有するモノや誰かが提供してくれるサービスとを媒介とする手段なのだ、・・・貨幣はまさに「コミュニュケーション・メディア」であるということができる。(194~196ページから抜粋)

貨幣は行為の自由を与える

 

 

人間の存在形態として一番自由を奪われた存在なのが、「奴隷」だ。彼らは自分の全活動能力と時間的な無制限の奉仕によって心身ともその主人に拘束されている。・・・これが第一の段階であるとすると次の第二段階として「奉仕が時間的に制限される」という段階が考えられる。何を生産するのかを領主によって命令されており、労働における自由がない農奴がこれにあたる。そして第三段階は、租税や公課さえ収めれば、どのような労働によってそれを得たのかは問われない、という段階だ、近代以降の大衆はこのようなかたちで行為の自由を獲得している。つまり、公課や租税を貨幣によって支払うということは、その支払うものをどのようにした獲得したかということが、お上の側から問われなくなり、その結果庶民の活動の自由度が増す、ということを意味する。(199ページ)

 

貨幣による距離感覚

 

 

ジンメルの言葉でいうと「主体の留保」ということだ。・・・貨幣は「最も内面的なものの門衛」となるのだ。つまり貨幣的関係が広まることによって、内面的なもの、プライベートな感覚の確保が可能となったと、ジンメルは考えている。近代以降、貨幣的関係を経験したことにより、人間はほかの人との間の距離の感覚を持てるようになった。それまでのように身分や共同体的規範というマニュアルにしたがった人間関係の作り方ではんく、自分のセンスと判断力により、他者との距離をもてるようになり、またそうしたことを社会的にも要求されるようになった。(213ページ)

 

貨幣とはコミュニュケーション・メディア

 

近代以降の社会は貨幣によって、何を職業にして貨幣を獲得してももいいという自由を持つ。と同時に何にお金を払ってもよいという自由を持つ。貨幣がコミュニュケーション・メディアになることで、貨幣の獲得と使用の両面で他者との間で距離感覚を獲得できる。お金を払ってくれるなら、あるいはお金を払えば、解決してくれるのである。

だからこそ人間は貨幣に対しは距離感覚を失って、貨幣の全能感に囚われがちである。つつまりはお金こそすべて、であると考えてしまう。

著者は社会は一枚の大きな岩の様なものではく、個人の相互作用によって形成されていると言う。貨幣は相手と必要以上に相手と近接することを避けながら「他者とつながる」ことを可能にしてくれる。そして貨幣の全能性に囚われない為には貨幣の介在しない「つながり」を感じる時、そこに安心感を得ることが可能になる。それは家庭という人間関係であったり、趣味を媒介とする人間関係であったり、そこに安らぎを憶えている。

蛇足

 

お金を使わずに他者から何かを貰えるか?

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