毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

リベラリズムとは正義の味方、スーパーマンの思想、である~『 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門』井上達夫氏

 リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください--井上達夫の法哲学入門

井上氏は法哲学の研究家、真のリベラルは、今いかに考えるべきか。(2015)

 

橘氏が引用しており、本書を知る。

啓蒙

啓蒙主義というのは、理性の重視ですね。理性によって、蒙を啓く。因習や迷信を理性によって打破し、その抑圧から人間を解放する思想運動です。18世紀にフランスを中心にヨーロッパに広がり、フランス革命の推進力になったとされる。(11ページ)

寛容

宗教戦争のあと、ヨーロッパは宗教戦争の時代を迎えました。大陸のほうでは30年戦争、イギリスではピューリタン革命前後の宗教的内乱。血を血で洗うすさまじい戦争でした。それがウェストハリヤ条約でいちおう落ち着いた、というか棲み分けができた。その経験から出てきたのが寛容です。宗教が違い、価値観が違っても、共存しましょう、という。(11ページ)

リベラルとは正義概念

私は正義概念は重要な規範的実質をもち、それが啓蒙と寛容のポジを統合してリベラリズムを再編強化する指針になると考えます。・・・「正義概念」に規範的実質は、私は「普遍化不可能な差別の排除」の要請にあると思います。・・・当事者の個体的な同一性のみが理由になっている差別は。普遍化できない。普遍化できない差別は、排除されなければならない。・・・自分の他者に対する行動や要求が、もし自分がその他者だったとしても受け入れられるかどうか。自分と他者が反転したとしても、受け入れられるかどうか、考えてみよ、(という反転可能性テストによって正義概念が評価できる)(22ページ)

リベラリズムとは何か?

私は「リベラルの基本的な価値は自由ではなく正義だ」という趣旨の基調論文を書きました。・・・無理に日本語にするなら「正義主義」とでもいったほうがいい。(10ページ)

リベラリズムの今日

著者は「今日リベラルのエリート主義と偽善性、欺瞞性ばかりが目につく」(8ページ)と指摘をする。著者はそれでもリベラリズム=正義概念に期待する。啓蒙と寛容、そしてそのバランスを図る「反転可能性テスト」によってより良き社会を構成できると考える。

啓蒙は自分だけが正しい、という理性の独断化を招く。寛容は他者への無関心と紙一重である。啓蒙も寛容も欠点がありこれらを組み合わせることで、啓蒙と寛容の良い点が活かされる。それではどうやって具体的に行動するか?それが反転可能性テストである、とする。

本書ではこのリベラリズムの思想から様々な論点を議論する。天皇制、憲法9条削除など、井上氏はこの反転可能性テストを拡張し、「今日のリベラル」とは真逆の結論を出す。「憲法9条はある特定の安全保障感を憲法にて固定化しており、削除すべきである」「天皇制は主権国民が皇族を奴隷化している民主的な奴隷制である」私はこれらの主張に目から鱗が落ちる思いである。

自分の行動は、反転可能性テストの視点が足りなかった、いや反転可能性テストの視点が無かった、と気づく。反転可能性テストとは別の名を複眼の思想という。スーパーマンがカッコいいのは自己の能力を他者の為に使いながら、日常では普通の人=反転可能性テストを課している点になる。リベラリズムとは正義のヒーローを目指すことである。

蛇足

リベラリズムの別の名は、複眼の思想

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