250年前のカントの考えた事~我々もまたその枠組みの中を生きている、リスボンの大地震を知っていますか?
黒崎氏は哲学者。「本当の哲学は、今、そこに起こっていることについて、「本当にそうなのか?」と、自分で考えるためのものなのです。」
1755年ヨーロッパの覇権国ポルトガルの首都リスボンは地震により壊滅
1755年のリスボン地震(リスボンじしん)は、同年11月1日に発生した地震。午前9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5000人から6万2000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.5 - 9.0。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定。(Wiki)
当時のリスボンの人口は25万人、5人に1人が亡くなった大惨事
リスボン、神に祝福された街
実は、このリスボンの街はキリスト教の信仰の篤い、素晴らしいところ、神に祝福された街でした。海外の植民地に宣教師を派遣し、キリスト教を布教する敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都です。「享楽的なパリやロンドンや異教徒の住む街が壊されるならまだしも、なぜよりによってリスボンという信心深い街が破壊されなければならなかったのか。」当然人々は疑念を持ちはじめます。しかも大地震が襲った11月1日は神の恩寵を讃える聖なる日でもあり、そんな日に聖堂もろとも破壊されたわけですから、18世紀の神学では説明のつかない出来事でした。(163ページ)
カントの「地震論」は神や信仰とは無関係の自然科学的考察を行った
近代哲学の祖、イマニュエル・カント(1724―1804)(31歳の)は、リスボン地震の直後に3編の「地震論」を次々と書きしるします。「人間というのは死ぬために生まれてきたというのに、我々は何人もの人々が地震で死んだことに耐えきれない。発火可能な物質のつまった大地の上に建設する以上、どんなに豪華に造ろうとも、遅かれ早かれそれはそっくり地震によって倒壊するであろうと容易に察しがつく」(地震論、カント)
若きカントのここでの考察には、地震が神の摂理によって起こったとか、「天罰」とかという思想はもはや見当たりません。(168ページ)
カントは地表の下に発火可能な物質があり、それが地震の原因であるという自然科学的なアプローチを行っている。
完璧な神が消え、人間中心主義の時代へ
このように、リスボン大地震を契機に、ヨーロッパ思想は大きな変換をどげると言っても過言ではありません。
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「この世は神が最善のものとして創られた」という神学的最善観の衰退
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大地震なども、自然現象として捉え、人間がそれを科学の力で解明し、予知・コントロールしていこうとする態度
の始まりです。(中略)これは啓蒙主義、という言葉でも捉えることができます。つまり、神学に代表されるこれまでの伝統や権威に変わって「人間の理性」こそが最も信頼できるものとなる。人間である限りこの理性を潜在的には持っているので、どんな人々でも自らを高めれば、理想的な存在になる、というのが啓蒙主義の思想です。(170ページ)
250年前の地震は神学と自然科学的アプローチの分離を生んだ。現在の科学はその延長線上にある。我々が認識する科学とは神学とは別の1755年以降の科学、だからこそ必ずしもキリスト教的教義を前提としない日本人も科学的思考を受容できる。
蛇足
現代科学への変節は250年前のカントがターニングポイント。