「氷河期」という言葉が当たり前になったのはいつか?~地質学の黎明期
ボウルズ氏はサイエンスライター。氷河期という概念が成立する過程を綴る。
氷河期の発見
19世紀、化石や地層の科学的研究が始まった。聖書に基づく洪水説も根強かったころ、画期的な新説が登場した。かつて地表は氷河に覆われていた、というのだ。北極でさえ氷のない海域だと思われ、巨大な氷河が存在することすら知られていなかった時代、この新説は大スキャンダルとなった。
だが心理を求めて戦う人々がいた。命を賭して探検に挑んだ“詩人”、理想の科学者像を伝えた“教師”、巧妙に学説を完成した“政治家”。(本書そでより)
理想の教師、アガシ(1807-1873)
アガシは1837年スイス自然科学界の年次総会にてアガシは「氷河期説」を発表する。その内容は①スイスで当時見られる氷河はかつてはもっと大きく、スイスのジュラ地方全体が氷に覆われていた、②氷はかつては北極から地中海にまで広がっていて北半球全体が一つの巨大な氷河に覆われていた。③氷河期によって生態系は一旦絶滅した。アガシはどうやってこの氷河期に主張にたどりついたか?
アガシの著書に使われた氷河期の想像図Muséum d'histoire naturelle - Neuchâtel
アガシは(氷河期の痕跡のすべてを)自分の中にできた目で見た。氷河のあとをみていると、まだ知られていな事柄が彷彿としてきた。氷がはいずり回って大地をひっかき、途方もない大きさの花崗岩を引きずり、氷河が通ったあとの地面はひどくこすられていたと思われる。実際アガシは氷河の動きを読み取るのに3つの目が必要だった。綿密に観察するための目が二つと、見たものの意味をしる為の正常な心の目である。この3つの目を用いて、磨かれた岩に刻み込まれたすじを見て、今はない氷河がどの方向に流れていったのかを知ることができた。(中略)地質学的にさほど遠い昔ではない時期に、北極海から地中海にいたる北半球が一つの巨大な氷原に覆われていたことがあった。人間の想像力の謎が、この稲妻、無知から新しい着想が出てくるという事実、の中に見られる。(97ページより再構成)
巧妙に学説を完成したライエル(1797-1875)と斉一説
斉一説のコンセプトは、スコットランドのチャールズ・ライエルの著書『地質学原理』で広く普及した。現在も過去も作用する自然法則は同じであり、現在起きている現象で過去を説明できるとする現在主義と、極めて長い時間をかけて、ゆっくりと連続的に物事が作用することによって、現在目にしている地質構造が生まれているとする漸進主義が混ざったもので、19世紀に近代地質学が成立する過程で、多くの地質学者によって中心となる考え方として述べられてきた。(Wiki)
冒険家であり詩人ケーン(1820-1857)
医者にして探検家であったケーンはグリーンランドから北極に至る探検を行し「北極探検記」を記した。彼はグリーンランドで遭難する事で、氷河期のイメージを世界に伝える事になった。
氷河期はどうやって受け入れられたか?
アガシの主張に「ヨーロッパがかつてグリーンランドの様だった」というイメージが重なった時、それが人々に氷河期というイメージを持たせる事になった。更にアガシの神学的な哲学、「聖書の大洪水の代りに氷河期があったはずだ」という哲学がライエルの斉一説によって修正された所で科学的な整合性をもった理論として集約されていった。本書の副題「地球の歴史を解明した詩人・教師・政治家」の意味はここにある。
我々は氷河期という言葉をよく使う。わずか150年前氷河期という概念がなかった事、その概念は人間の思考力によって生まれた事、これらを今や想像できない。
蛇足
アガシが氷河期によって生態系が絶滅したとの主張はスノーボールアースまで遡れば正しい。