毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

光があれば植物は育つ、この常識に人が気づいた時から世界は大きく変化した

紅茶スパイ: 英国人プラントハンター中国をゆく  ローズ氏はジャーナリス出身、「19世紀、中国がひた隠ししてきた茶の製法とタネを入手するため、英国人凄腕プラントハンター/ロバート・フォーチュンが中国奥地に潜入…。」 

 ロバート・フォーチュン(18121880

 スコットランド生まれの園芸家・植物学者・プラントハンター。イギリス東インド会社の依頼によりアヘン戦争後の中国(清)にわたりチャノキ(茶の木)をひそかに採取、インドに移植し、ダージリンティーの栽培実現に多大な貢献をする。(本書そでより)

1850年、フォーチュンが紅茶の木を移植するのに使ったのがウォードの箱

 ナサニエル・バグショー・ウォード(1791年-1868年)が1829年頃にイギリスの首都ロンドンで発明したガラス器。発明はウォードの偶然の発見によるものであった。ウォードの箱は主に植物の近代における先駆的な植物栽培用の容器。(Wiki)

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 ウォードの偶然の発見 

1980年代後半に、ウォード医師は画期的な発見をしていた。ススメガのさなぎを入れておいた密閉したびんの中でごく普通のわずかな土から植物の芽が出ていたのだ。その種は前年の夏にと土とともにびんの中に密閉され、温度が保たれ、保護され、ずっとそのままの状態でいた。ウォードはそのびんを明けずに窓台に持っていき、芽がどうなるか観察記録をつけた。四年もたたないうちに、芽は伸びてシダとありふれた草に育った。(48ページ)

 ウォードの結論、「光のある所ならどこでもすべての植物が育つであろう」

 ウォードは、単純な時給自足のプロセスをつぶさに観察し、記録した。ガラス箱に日光が当たっているときは、植物は土から蒸発する水と空気中の二酸化炭素が結合するのを利用して光合成をする。夜になると植物が放出した酸素が水蒸気となり、夜気で冷やされて凝縮し水滴となってガラスの内側を伝って流れおち、土を濡らす。こうしてガラス箱の中の水分はほぼ無制限に保たれ、その結果、植物の生命は事実上、永続する。(中略)史上初めて、植物学者は生息地以外で植物を育てることができるようになった。(50ページより抜粋)

 フォーチュンは「ウォードの箱」で産業全体の移植を試みる

 フォーチュンは植物の移植―本質的には技術移転と言えるーという帝国主義的プロジェクトを大幅に前進させた。生きている植物も弱い種も海をわたることができるとしたら、その植物に関する産業全体を移転できるという事だ。フォーチュンは1.2m×1.8mのガラス箱で知識と技術の輸出を世界規模で行った。イギリスのような帝国主義的植民地大国にとって、種に関するこのフォーチュンの発見はまさに革命的であった。なぜならイギリスには、収益を生み出すために耕作され、移植されることを待っている植民地―衛星を沢山もった惑星がからだ。

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The Tea Thief Slept Here: A Visit to Chelsea Physic Garden Pt. III | The Tea Stylist

 

ウォードのスポンサーは東インド会社。科学的知見を一般化し、それが資本と結びついて大きな技術革新を達成、そして社会を変えていった。中国原産の紅茶だけでなく、ペルー原産のキニーネマラリヤの治療薬)、ブラジル原産のゴム、今の世界につながる変化をもたらす。

蛇足

 光、水、空気、で植物が成長する、それを知らなかった時代を想像してみる。