毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

なぜ浅田氏は昭和初期を舞台に犯罪小説を描き続けるのか?~『天切り松 闇がたり 5 ライムライト 』浅田次郎氏(2016)

天切り松 闇がたり 5 ライムライト (集英社文庫)

 

帝都東京の夜盗の大親分、安吉一家が動き出す! 仁義を重んじる伝説の夜盗たちの痛快ピカレスクロマン。(文庫化、2016)

 

 

軽井沢から上野に向かう上信越線にて

高架線上をひた走る列車には、赤い陽足が流れ込んで人々の目を眩ませる。東北本線と上信越線を縄張りとする箱師が仕事をするのは、この時間のこの区間と決まっている。だから上野署の私服刑事は、しばしば三人が一組となって赤羽駅から上りの急行に乗り込んだ。・・・あらまし満席の二等車には、これといって怪しげな客は見当たらぬ。平井刑事は持場を二人の部下に任せて、一等車を覗きに行った。

長距離列車の一等車

専用の便所とデッキ。洗面所と車掌室。木彫の枠にガラス細工を施した扉を開けると、緋の絨毯を敷き詰めた別世界である。・・・毎度のことだが、こうして一等車を覗くたびに、平井は不愉快になる。乗車賃は二等車が三等車の倍で、一等車ともなれば三倍である。巡査から叩き上げた自分がどう鯱立ちしたところで、純白のカバーをかけた安楽椅子にふんぞりかえって旅をすることなど一生あるまい、と考えてしまう。(122ページ)

f:id:kocho-3:20161002114918p:plain一等車 - Wikipedia

 

昭和初期という時代

本書は昭和7年(1932)前後の東京が舞台。当時の日本は議会制民主主義が根付き始めたが世界恐慌に端を発した大不況、企業倒産が相次いで社会不安が増していた。この年海軍青年将校によるクーデター5.15事件が発生する。

天切り松 闇がたり

本書は「仁義を重んじる伝説の夜盗たちの痛快犯罪小説」のシリーズ、“天切り松”の親分・仲間たちは掏摸(スリ)や盗賊、詐欺師、頭と技術で富める者から盗みを実行する。

本書の箱師勘兵衛という伝統の掏摸師のストーリーに当時の汽車の事情が描かれる。3等、2等、1等では最大3倍違うことになる。ここで思い出したのが「人口と日本経済」。

「日本は、先進国の中では例外的に20世紀の前半、すなわち戦前はまったく寿命が延びなかった。・・・人間社会の総決算とも言える平均寿命(50歳以下)、そして寿命のジニ係数の推移(0.4前後)を見るとき、戦前の日本は大問題ありの社会であったと言わねばならない。」(133ページ)

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人口と日本経済 - 長寿、イノベーション、経済成長 (中公新書)より

 

現在日本の寿命のジニ係数(貧者と富者の健康格差)は0.1以下、戦後急速に改善し誰もが健康を享受できる社会となった。一方戦前は所得格差と同時に健康格差をも存在していた。だからこそ汽車の運賃に大きな差があるのである。現在長距離列車は普通車とグリーン車、2階層となり目に見える格差は縮小した。

(もっとも航空機ではエコノミー、ビジネス、ファーストの3階層、運賃格差は3倍どころか10倍以上はあろう。)

浅田氏が昭和初期の日本を舞台に“伝説の夜盗たちの痛快犯罪小説”を長きに渡って手がけるのか?昭和初期の剥きだしの資本主義と遅れた植民地主義、それらは形をかえて現在にも存在する。浅田氏は小説を使って今も変わらない社会を描いている。

そして浅田氏の視線には、国家や軍隊など強者の論理に押しつぶされる、弱き人々への優しさで溢れている。

蛇足

夜盗の親分は55歳前後、当時の平均寿命を超えている。

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