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2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

中央銀行とは徴税システムにレバレッジを効かせること~『ザ・シティ 金融大冒険物語 』浜矩子氏(2009)

ザ・シティ 金融大冒険物語 

浜氏はマクロ経済学の研究家、国際金融都市として発展を続ける英国ロンドン「ザ・シティ」。 シティはなぜ世界の金融の中心であり続けるのか。(2009)

 

 

フランスとの戦費を融資する

イングランド銀行がいわゆる中央銀行としての位置づけを固めたのは、19世紀も半ばのことである。それまではお国のための御用銀行でありながら、一方では、あくまでも一介のマーチャントバンクに過ぎないという二重人格的存在であった。…(イングランド銀行は)直接的には、国の戦費調達要請に応えての設立であった。時の国王はオレンジ公ウィリアム3世である。1689年彼は、王位についた。1686年の名誉革命成就によって、革命派の旗頭として即位したのである。即位をしてみれば、そこから先は戦火の絶えない日々となった。ルイ14世のフランスとの長い戦争に明け暮れたのである。そのための膨大な戦費を賄うには、税収だけではとうてい不十分だった。

1694年イングランド銀行設立

イングランド銀行構想のそもそもの起案者はウィリアム・パターソンという貿易商である。…パターソンはオレンジ公ウィリアムに対して総額120万ポンドの融資を持ちかけた。この融資の見返りとして、彼らは「イングランド銀行会社」としての営業権と独自の紙幣発行権を政府に公認してもらう。…国家に対する債権者の位置につくのである。その信用たるや絶大なものになることは請け合いだった。そうなれば、商人のための商人による金融(マーチャントバンク)の世界はイングランド銀行の独断場になる。

イングランド銀行が紙幣発行権を保有

誰かが裁量的に通貨発行量を決めるしかない。その裁量権を握っていたのが、ほかならぬイングランド銀行だったのである。・・・実際問題としても、イギリスの保有金はそのあらかたがイングランド銀行の金庫に収まっていた。(74ページ)

信用創造のメカニズム

 

イングランド銀行成立に伴う資金の動きを整理してみる。

  1. マーチャントバンクは120⃣万ポンドの金をイングランド銀行に出資金として払い込む。
  2. イングランド銀行は120万ポンドを国王に融資する
  3. イングランド銀行マーチャントバンクに対し出資金と同額の手形を発行する。
  4. マーチャントバンクは手形担保でイングランド銀行から120万ポンドの融資を受ける

→120万ポンドの金から都合240万ポンドの通貨が生まれる。

現在で言えばマーチャントバンクプライベートエクイティファンドである。ファンドは国王に返済確実な融資を行い利息を受ける。国王は戦費に使うが、その返済は国民からの徴税によって賄われるからである。ファンドは同時に同額の資金を別な投資案件に投資でき、そこからもリターンを享受できる。税収に裏付けされた国王の信用を活用してレバレッジを効かせることが可能となっている。

イギリスは金融力を集中させてフランスとの戦争に勝ち、植民地獲得に成功する。植民地獲得によってイギリスは最終的に大英帝国となるのである。大英帝国とはイングランド銀行資金力とそれを背景とした軍事力によって誕生したのである。その後中央銀行制度が各国に広がると戦争は長期化していった。

蛇足

 

中央銀行とは徴税システムにレバレッジを効かせる民間企業

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