毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

黒澤明とジョージ・ルーカスの"温故知新と換骨奪胎"の系譜~『スター・ウォーズ論』川原一久氏(2015)

スター・ウォーズ論(NHK出版新書 473)

川原氏はTVディレクター・ライター、1977年の第1作公開以来、世界中にファンを獲得したスター・ウォーズは、映画史に燦然と輝く傑作サーガだ。当初は 「ボツ企画」扱いをされた同作は、いかに最強コンテンツへと生まれ変わったのか?(2015)

  

 

スター・ウォーズ登場の必然

戦争映画における圧倒的な悪役だったナチスは帝国軍として生まれ変わり、西部劇のヒーローであったガンマンは黒いベストにガンベルト姿のハン・ソロとして取り入れられた。西部劇の定番である「酒場での早撃ち」まで披露するほどだ。

ここでポイントとなるのは、「遠い昔、はるか彼方の銀河系」の話であるがゆえに、戦争描写にベトナム人の影が被ることはなく、西部劇の悪役も人種的な問題はクリアされ、横暴な異星人がレーザーガンの前に倒れるといった寸法で、簡単に言えば「いいとこ取り」ができているのだ、・・・これら(SF小説で描かれ、子供を魅了してきた奇想天外な世界観)の要素も全てスター・ウォーズの中に巧みに取り入れられ、「古き良き冒険活劇の魅力」と「SF小説が持っていた壮大な世界観」を作り出すことに成功している。

スター・ウォーズが取り入れた娯楽映画のエレメントは、それこそ無数に存在していて、該当しないジャンルはミュージカルぐらいだろう。(117ページ)

黒沢明のコンセプトを継承

多様な登場人物たちによる多様なプロットが、一本の映画に可能な限り詰め込まれている「七人の侍」の突出した魅力の原点は、そもそも黒沢明が本作を作るにあたっての動機に見てとれる。「観客に腹一杯食わせてやろう、と。ステーキの上にウナギの蒲焼きを載せ、カレーをぶちこんだような、もう勘弁、腹一杯という映画を作ろうと思った」

戦後、怒涛のように押し寄せてくるハリウッド映画に対抗し、考えうる限り娯楽の要素を詰め込んで観客を楽しませようとした黒沢の姿勢は、結果的にルーカスが「スター・ウォーズ」を構築していく上でトレースしていったものだ。古今東西の名作から優れた部分を拝借しながらも、最新の特殊効果によって時代の最先端の娯楽として再生産していった…(153ページ)

スター・ウォーズの根底に流れるテーマ

彼(黒澤)自身の言葉では、それは、「なぜ人々はみんなで一緒にもっと幸せになることができないのか」というものだ。

「彼は、現代的な表現と歴史超大作の形で、そう問いかけてきたんだ。彼はいつもその問いに強烈な形で答えてきたんだよ」とルーカスは言う。(158ページ)

特にエピソード1においては、くどいほど「共生」というテーマが鮮明になるような描写が多い。エピソード6までを俯瞰してみると、反乱軍の目的は(銀河のあらゆる種族で構成される)共和国の再興であり、それは同時に帝国の誕生と共に失われた銀河系における「共生」の復活でもあった。(162ページ)

スター・ウォーズはなぜ面白いか?

 川原氏はスター・ウォーズの成功を温故知新と換骨奪胎の理想的な成功例となった、という。成功の理由を「神話の構造」があるからだ、と広く言われる意見には賛成しない。神話の構造を持った映画でも面白くない映画は沢山あるという。また黒澤明を含め、日本オリジナルの発想にも与しない。黒澤明は、20世紀という時代がアーティストの与えた系譜の中に認識されるべきものであると説明する。

黒澤明はハリウッド映画の名作をnによって再構築し「七人の侍」を作り、ジョージ・ルーカスはハリウッド映画の名作と黒澤明を温故知新と換骨奪胎しスター・ウォーズを作った。安易にジャパン・オリジナルを主張することは夜郎自大であると思い知る。

蛇足

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