毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

日本の封建時代と近代の分岐点となった元禄時代はどういう政治変化があったのか?~『元禄時代』大石慎三郎(1970)

元禄時代 (1970年) (岩波新書)

 大石慎三郎(1923-2004)は日本近世史の研究家。元禄は、日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。元禄時代とはどういう時代だったのか?(初版は1970年)

 

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農民経済の変化

 

 

近世初頭に6割6分であった年貢率が、100年余のちの正徳2年(1712年)には2割8分9厘にまで下がっているのである。・・それまで全乗除労働部分にまでおよんでいた年貢収奪体制が後退し、農民の手元にも必要労働部分を上回る剰余が残るようになったのである。(43ページ)

 

綱吉後期の治世

 

①質地取扱にかんする12カ条の覚(元禄8年1695)

・この「覚」で田畑・屋敷の質入れ・質取りによる移動を認めていることであり、いま一つは相対主義をその処理基準としていることである。・・・これは封建的土地制度の重大な変更であった。・・・相対取決めを処理基準にしたということは、縦の関係=封建法より、横の関係=近代法の原理を優先させたということになる。(148ページ)

②金銀訴訟に関する覚(元禄15年 1702)

・「元禄15年からの分はこれを幕府で受理裁判する」というのである。・・・幕府が商人資本を先頭とする封建社会の経済社会化現象におされて、それまで庶民の私的行為=相対事としてほうっておいた商行為を、公権力で支援・保証した。(150ページ)

元禄の貨幣改鋳(元禄8年 1695)

・「世間の金銀を多くするため、金銀の品位をなおして改鋳しなおす」というのである。・・・金は従来の1.5倍、銀は1.25倍にするという具体案を提案・・・当時日本の金銀山はすでにほとんど枯渇しており、また幕府の備蓄金銀も使い果たしているという現実を踏まえ、しかも通貨供給量をふやすという過大を満たすためには、それ以外に方法がなかったのではないか。(160ページ)

 

元禄は近代社会への分岐点

 

 

 

元禄で総称されるような事象全体のもつ歴史的意味を認めて、それを体制にまで定着させようと努力し、その方向づけに成功したのがまさに元禄時代=綱吉後期の政治である。・・・綱吉後期の政治は封建社会から近代社会に日本が以降する起点をなすといえよう。(206ページ)

 

 元禄時代とは

 著者は元禄文化といわれる西鶴芭蕉、師宣などの芸術、三井家に代表される新興商人の台頭は、農民的剰余の発生による庶民経済の拡大によるものでありその動きはむしろ元禄時代に先駆けていたと説明する。むしろ綱吉後期の政治は、貨幣経済の拡大と封建社会の縮小を追認したのであり、新しい芸術、ビジネスの波より当然に遅れることとなる。

土地と労働に縛られていたのが封建社会なら、貨幣経済の拡大と消費の自由が生まれたのが近代社会である。その意味で土地活用の自由、商法整備、そしてマネーサプライ拡大は、近代社会への移行を可能にしたと言える。

昭和元禄という表現がある。1964年、後の総理大臣福田赳夫が高度経済成長を天下太平、奢侈(しゃし)安逸の時代として「昭和元禄」と言った。確かに我々は昭和30年代を良き時代として記憶している。そして本書の初版は1970年、元禄という言葉の持つ記号は今以上に大きかった。

蛇足

 時代を先駆けるのは芸術であり、ビジネスであり、そして政治が後追いする。

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