我々の情報処理能力は126ビット/秒、それではそれを何に振り向けるか?~『フロー体験 喜びの現象学』チクセントミハイ氏(1990)
フロー体験 喜びの現象学 (SEKAISHISO SEMINAR)
チクセントミハイ氏は心理学者、 幸福、喜び、楽しさ、最適経験などの現象学的課題の本質を総合的に解明した労作。(原書1990年、翻訳1996年)
目標は簡単すぎれば退屈、難しすぎると感じれば不安
フロー状態
「一つの活動に深く没入しているので他の何ものも問題とならなくなる状態、その経験それ自体が非常に楽しいので、純粋にそれをするということにために多くの時間や労力を費やすような状態」(5ページ)と定義する。
それではいつもフロー状態を継続的に感じられる方法はあるのであろうか?その為には意識が重要となる。本書では意識とは意図的に秩序づけられた情報であり、自らの主観的現実を統制する自由を持っていると言う。
意識の限界
現在の科学は中枢神経がどのくらい情報処理できるかを見積もることがようやくできはじめたところである。我々は一次にせいぜい7ビットの情報-異なる音や視覚的刺激、認知可能な情緒や思考のニュアンスの差異など-しか処理できないようであり、一組のビットを他の組から区別する最短時間は1/18秒らしい。この数字を使えば、最大1秒間に126ビット、1分間に7,560ビット、一時間にほぼ50万ビットを処理できることになる。また毎日目覚めている時間が16時間とすれば、70年の生涯で処理する情報量は1,850億ビットになる。(37ページ)
意識を集中させないと脳は働かない
(日常生活で意識を集中させている時間は思ったより少ないので)我々が生きている間に楽しまれるはずの1,850億のことがらというのは過大評価されているとも言えるし、過少評価されているともいえる。脳が理論的に処理できるデータの量を考えればその数字は小さすぎるが、人々が現実にどれほど心を利用しているかをみればそれは決定的に大きすぎる。いずれにせよ個人が経験できることには限りがある。したがって我々がどのような情報を意識に入れるかは実際に生活の内容と質を決定するうえで極めて重要なものとなる。(39ページ)
本書の結びから
我々は人間の意識の限界を認識し、地球上での支配的役割より共同的な役割を受け入れることで、遂に我が家にたどり着こうとしている流浪者の安らぎを感じるはずである。その時、意味の問題は宇宙的なフローと融合した個人の目的として解き明かされるだろう。(300ページ)
楽観と悲観の狭間で
我々は意識と無意識を活用すれば無限大に拡張可能である、と楽観的に考える。一方一日常にに囚われ、意識を集中させる事ができず、悲観的な思考しかしていない時もある。そして我々の全員が100%楽観的と100%悲観的の間のどこかに存在している。
意識できる情報量は限られている
一人の人間が意識できる情報は限られている。その上人は常に意識を集中させる事はできない。ここから導かれる結論は簡単である。どこまで大きな意識を持てるか?そしてその意識をどれだけの時間継続できるか?更に言えば要らない意識を捨てことができるか?
著者はこれらを「ライフテーマ」と呼び、日常のすべてはその目標に近づく一歩か、遠ざかる一歩か、常に考え続けることがフロー体験を得るのに重要であると説く。
蛇足
今している事はライフテーマにプラスかマイナスか?
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