毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

南極点で考える、宇宙の始まり~『宇宙はどうして始まったのか』松原 隆彦 著(2015)

<宇宙はどうして始まったのか (光文社新書)

松原氏は宇宙論の研究者、この宇宙は、「無」から始まったのか。 私たちは宇宙の存在の謎にどこまで迫ることができるのか。2015年刊

 

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宇宙の無を想像できるか?

 

 

そもそも宇宙とは何なのだろうか?中国の古い文献「淮南子」によると、空間のことを宇と呼び、時間のことを宙と呼ぶ、とされている。この呼び方にしたがえば、「宇宙」とは時間と空間を合せた存在、ということになる。・・・宇宙がない状態だという「無」とは、時間と空間を合せた存在、ということになる。(39ページ)

 

淮南子』(えなんじ)は、前漢武帝の頃、淮南王劉安(紀元前179年–紀元前122年)が学者を集めて編纂させた思想書

南の果てには何があるか?

 

 

南極からずっと離れたところにいれば、南という方向はどこでも同じ方向を向いているように見える。しかし、南極点に近づけば近づくほど、南という方向が南極点に達すると、そこから先にはもう南という方角はない。南極点に立っている人にとっては、どちらを向いてもすべての方向が北なのだ。それ以上は南へ移動できないという意味で、それは南の果てだと言える。ところがそこに何か壁のような境界がある訳ではない。(53ページ)

 

宇宙の時間をどんどん遡っていくと、

 

 

時間を遡るということに置き換えてみれば、南極点に対応するのが時間の始まり、すなわち宇宙の始まりになる。もし宇宙の始まりにたつことができたなら、そこに何か時間の壁のようなものがあるわけではない。この場合は、特に変哲のない時空間が広がっていると考えられる。(54ページ)

 

情報と宇宙

 

量子物理学の枠組みで宇宙という物理的な世界を理解する時どうなるか?著者はホイラー氏の「観測者参加型宇宙」論を紹介する。

 

ホイラーは、宇宙という物理的な世界はすべて「情報」が作り上げているのではないか、という考えを述べている。この考えを彼は「ビットがすべてを作り出す」(“it from bit”)という言葉で表した。・・・ホイラーによれば、存在というのはこの物理的世界の基本的なものなのではなく、人間がコミュニュケーションの道具として用いる情報こそ基本的なものだという。・・・ホイラーによれば、宇宙の存在自体が観測者の行っている情報処理そのものだからである。(199ページ)

f:id:kocho-3:20150305080942p:plain南極点にあるのは情報だけ、、、

 
南極点で考えること

 

南極点を南極点たらしめているもの、それは情報だけである。地球の最南端という情報だけがその地点を特別なものにしている。宇宙の始まりを同じように例えられないか?ここが時間と空間の始まりだという情報そのものが宇宙の始まりであり、情報そのものは宇宙という物質の存在前から存在していた事になる。我々は「空間と時間の始まり」という情報を選び取る事ができる。その時、情報が物質に移行した瞬間となる。宇宙は無から始まった、言い換えれば宇宙は情報から始まった。

蛇足

 

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