毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

今必要なもの、「暴風雨、高波の夜の海に飛び込む」覚悟と勇気、~『人はなぜ逃げ後れるか』広瀬 弘忠 氏(2004)

 

人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学 (集英社新書)

 広瀬氏は災害心理学の研究家、地震や洪水、火災などの災害に遭遇した時、身をまもるために素早く行動できる人間は驚くほど少ない。2004年刊f:id:kocho-3:20150218075537p:plain

 パニック神話

 

 

災害や事故にあって、平常心でいることは難しい。恐れや不安を感じるのは、ごくあたりまえのことだろう。ただそれが、直ちに大勢の人々が先を争って、お互いがお互いの進路を邪魔する敵のように、お互いに踏みつけたり、押しつぶしたりして死傷者を生じるパニックが起こることにはつながらない。つまり異常行動としてのパニックは、多くの災害や事故ではあまり起こらないのである。パニックはまれだ、というのが専門家の「常識」なのである。(15ページ)

 

「逃げ送れる」とはどういう意味か?

 

「逃げ後れる」とは、あの時逃げておけば良かったと後悔すること、であろう。我々は現在の環境を維持しようという性質を持っている。日常下で人は、現在の環境は安全である、所属する集団の行動に従う事が正しい、と考えている。現在の環境が激変し、集団が正しい判断が出来ない時、逃げ後れが発生する。パニックが起きない事が逃げ後れにつながる。パニックが望ましいはずがないが、皆が急いで逃げられる事の方が重要である。その時それをパニックとは呼ばないはずである。我々は「正常なパニック行動」が出来がたいのである。

1954年、洞爺丸沈没の教訓

「多くの海難事故を見ても、他人に先んじて行動を起こした者は命を拾っている場合が多い。一瞬を争う場面では、全員が動き出したときにはもう遅いのである。」・・・事態の危機制を客観的に判断するための知性と、危機度の評価から導かれた結論を果敢に実行するための勇気である。・・・それは、たったいま救命胴衣をつけて、洞爺丸の甲板から水深10メートル、暴風雨が吹き荒れ、高波が打ち寄せる海中へと身をおどらせることができるか否かの選択である。168ページ

青函連絡船洞爺丸は1954年台風第15号により沈没した。1314名の乗員・乗客のうち1155人、実に88%が犠牲となった。タイタニックに次ぐ二番目の大きさの海難事故だった。

生き残った159名、12%の人は「暴風雨と高波の夜の海」に飛び込んだ人々である。洞爺丸の甲板で周りの人に飛び込め、と声をかけて、自らも飛び込んだ人、それが真のリーダーである。自分が行動できて初めて、周りの人を助けられる。

必要なのは認識と覚悟

 

我々は現状維持を好む傾向があり、大きな危機には対応できないとまず認識し、そして覚悟を「今」決めておく事である。「自分で自分を守る、常に情報を把握・判断、最後は勇気ある行動」をする覚悟を決める事である。

蛇足

 

「暴風雨、高波の夜の海」に飛び込む覚悟あるか?

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