毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は相手を推測しなくてはいられない生き物~将棋1000年の歴史から

将棋の歴史 (平凡社新書)

 

 

 

 

将棋は5世紀のインドで「軍事上の図上演習を盤上に模したゲーム」チャトランガが起源。著者はチャトランガがインド~東南アジア、そして「海のシルクロード」を経て11世紀末までには日本に伝わっていたと考える。

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現在の将棋のルールは16世紀初頭に確立

日本の将棋駒の特徴は、海外のチェス・将棋駒のように敵味方の駒が色分けされていなくて、敵味方の駒の区別がないことである。おそらく偶然の機会に、相手から取った駒を“誤って”自分の駒として使ったことがあったのだろう。・・・駒の再使用の時期が特定できる文献資料は現在のところ皆無である。ただ絵画資料として16世紀初期の「厩図」(東京国立博物館)がある。厩の前で碁、将棋、双六が遊ばれている絵で、重要文化財となっている。この絵で将棋で大局している左側の人物は、相手から取った駒を盤の傍においているが、同時に左手に駒を三枚握っている。もし駒が取り捨てで、再使用できないルールならば、駒を手に持つ必要はない。(66ページ)

 

f:id:kocho-3:20140927091108p:plain厩図屏風 - e国宝

将棋のピークは1981年

昭和56年(1981年)の「レジャー白書」では、将棋人口を2400万人としている。3年間に更に倍増した。少なくとも年に1回は将棋を指した人の数で、実に成人男性の3人に一人である。多くの人々が記憶されているように、職場で昼休みに将棋を指している人達がいて、見物する人達もいた。通勤電車の車内で将棋雑誌を読むか、詰将棋を解いている人達を見かけた。最盛期の将棋は国民的遊戯といっても過言ではなかった。(196ページ)

現代に続く将棋のトレンドは明治期後期

明治後半期に将棋が普及した主な要因は、新聞の棋譜掲載であった。発行部数は少なかったは、唯一の日々の情報を伝える新聞は最強に宣伝物でもあった。明治31年(1898)に「萬朝報(よろずちょうほう)」紙が棋譜を乗せ、明治40円(1907年)には神戸新聞と大坂朝日新聞も将棋欄を作った。(171ページ)

最近になって将棋が再注目

将棋を取り巻く環境は激変した。1981年をピークに減少する一方であった将棋が再度注目を浴びている。「パソコンの必需品化と多機能型携帯電話の爆発的な普及は、将棋にも有利な場を提供した。」(202ページ)「近年はコンピュータの普及により、技法の研究も新しい局面を迎えている。コンピュータにより、従来の研究方法が一変したと述べる棋士も少なくない」(206ページ)

将棋電脳戦でコンピュータはプロ棋士チームに勝ったのか?~我々は自ら変化できる生き物である。 - 毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

将棋の歴史を俯瞰してわかる事

中世貴族の嗜み、江戸幕府の支援と大衆化、そして明治以降マスコミニュケーションのコンテンツとなり成長した。高度経済成長を経て職場がもはや家庭の延長ではなくなり核家族化が進むと将棋の相手が居なくなった。そしてスマホSNSが再度ネットを通じた対戦を可能とし、電脳戦といった新しいジャンルも生まれてきた。将棋は相手の戦略を読む対戦ゲーム、将棋伝来以来1000年人は相手の心理を推理する事に飽きない。

 

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蛇足

相手の気持ちを読めた時、快感を憶える