毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

18世紀までのヨーロッパでは1年の半分は魚を食べていた!~それは宗教的・経済的な理由から

魚で始まる世界史: ニシンとタラとヨーロッパ (平凡社新書)

 越智氏はシェイクスピアとアメリカ社会が専門。「十八世紀農業革命以前、西洋の食の中心は肉ではなく魚であり、中世盛期のキリスト教社会では、一年の半分を魚を食べて過ごした。」

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P96オランダのニシン漁は北海全体にわたる国家事業

 
キリスト教における「食べる事」の意味

キリスト教は「食べた」事が原罪とされる宗教である。アダムとイヴは神の禁じた知恵の実を食べたことで、神の怒りに触れてエデンの園を追放される。・・エデンの追放とは、たんに地理的な問題というだけでなく、食べるという行為を通じて、人間の肉体に関わる問題であった。そして断食とは、その呪われた肉体を正しい状態に戻し、楽園での生活へと回帰する手段と見なされるようになる。(35ページ)

断食とフィッシュ・デイ

キリスト教における断食においてとにかく目の敵にされるのが肉だった。・・・「肉を食べ、ワインを飲み、満腹になることは、肉欲の苗床である。」・・・ところが時が経るにつて、断食日には魚食が許されるようになり、やがてはむしろ積極的に魚を食べる日へと変化していき、ついには「フィッシュ・デイ」、すなわち「魚の日」と呼ばれる様になった。

農業革命以前のヨーロッパは肉より魚

18世紀以前には生肉が入るのは夏の間だけであった。・・・冬の間は牧草が育たず、秣に限りがあるため家畜を育てる事ができなくなってしまうのだ。その為秋になると、繁殖用のものを残してほとんどの家畜が屠殺され、肉は塩漬けにされた。・・・従ってこの時期(復活祭までの冬の最後の40日間)に肉を食べないというのは、実際経済的には理に適ってもいたのだ。・・・(40日以外の断食の日、例えば金曜日、を合算すると)一年のうちおよそ半分が断食日だったのである。経済学の視点から考えれば、断食日は「肉が食べられない日」ではない。キリスト教世界のすべてのキリスト教徒が「魚を食べる日」であり巨大な需要が生まれたのだ。(47ページ)

ニシン漁は「大漁業(グランド・フィシヤリ)」と呼ばれたオランダの国家事業

オランダは、自国の沿岸にやってくるニシンをちまちま獲っていた訳ではなかった。産卵期に入ってニシンはシェトランド諸島沖から南下を始め、ブリテン島とオランダ、そしてフランスとの間の海峡を下っていく。・・・オランダ漁船はその群をシェトランド諸島沖から追いかけ、・・・スコットランドイングランドの目と鼻の先を掠めるように漁を続けたのだ。

オランダの経済的覇権の第一歩はこのニシン漁だった

ばれるこ。

f:id:kocho-3:20140811072447p:plainオランダでは今でも6月になると新ニシンを祝う。Hollandse nieuwe(新ニシン) : オランダ暮らしブログ

 

18世紀イギリスで輪作による農業生産力の向上が始まるまで、ヨーロッパは漁業に大きく依存していた。ヨーロッパを狩猟民族とイメージするが、狩りの対象は野生の動物ではなく魚だったという視点もあり得る。

蛇足

肉を消費する社会は200年の歴史しかない。