ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ~自己の思考を表現する事の意味
藤原氏は作家、『全世界で、500年に一度の「ことば」の大転換期が始まっている。「書きことば」に変わる「ネットことば」が人間の思考の根本を変える! 』
ネット上のことば
ネット上のことばはモノ化(たとえば紙に書く)させる必要もない。デジタル化、すなわち情報化させればいいのです。・・・社会がネットことばへと言語を移行させていくのは、活版印刷の誕生が話しことば中心の社会を終わらせ、書きことば中心の社会をつくったように、自然の流れだと言えます。さらにネット上には音(音声)、画像、動画も同時に流すことができる。もちろんストックすることも。これまでの書記言語にはない表現(音声、画像、動画)の豊穣さがそこにあります。ぼくはこの音、画像、動画を文字とともにネットことばと呼びたいと思います。(186ページ)
ネットでつながることの「軽さ」
問題の本質は別のところにある。それは分かりあうことがむずかしく、そうした機会を作ることが面倒な生身の人間関係より、すぐにアクセスし確認できる仮想の人間関係の方を求めてしまう心理が問題なのです。・・・ネット社会ではだれでもが「つながることができる」という幻想が振りまかれています。現在のコミュニュケーション至上主義、対話絶対の人間論が、むしろ安易なネットのつながりに人を追い込むことになっているともいえます。(213ページ)
何の為につながるか?
ネットで「つながる」のは、ビジネスの人脈を得る為であったり、趣味の仲間を探したり、様々な情報を得るためです。さらに他者からの承認願望を満たすために、ひたすらデコレーションされた自己愛を露出することであったりもします。SNSやブログといったネットことばのほとんどはネット的の他者と「つながりたい」という願望が電子的に組織されたものだといっていいでしょう。(213ページ)
自己表現する事
藤原氏は作家、書く事に徹底的にこだわる。「書くことは思考であり、その思考を深めること、継続することで、生きのびる力を得ることができる。」「書きことばとは突き詰めると、自己との対話であり、思考です。」(227ページ)
本書のタイトル、『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』。つながって何をどういう手段で伝達するか?作家である藤原氏は「書く」ことに軸足をおく。我々は書く事に加えて画像、動画も含めどうやって自分の思考を突き詰めるか、それを表現すればいいかを考えればいいと気づく。自己表現を行った時人と繫がる事に本質的意味が発生する。これはネットであれ、対面であれ、"「つながる」ことの耐えられない重さ"なのかもしれない。
蛇足
思考する事=自己表現する事