毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

「神聖ローマ帝国」の名称変遷から学ぶ自らの権威を高める方法~都合1000年の経験

 ヨーロッパ年表を見ると9世紀から18世紀まで「神聖ローマ帝国」が横たわる。

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 神聖ローマ帝国 (講談社現代新書)

菊地氏はオーストリア文学の研究家。本書帯より「この国にフランスは嫉妬し、イタリアは畏怖し、教皇は愛し、そして憎んだ。」

 

なにゆえに「神聖ローマ帝国」なのか?何が「神聖」なのか?神聖というからにはこの帝国は祭政一致の神権国家であったのか?ドイツがこんな大仰な帝国名称を名乗ることでいかなる歴史を背負わされたのか?(22ページ)

 

800年カール大帝ローマ教皇により皇帝戴冠、「西ローマ帝国復活

・ローマ教会は東方でギリシャ正教会に発展するコンスタンティノープル教会の後塵を拝し続け、ローマ教皇の首位性も怪しくなり脾肉の端をかこってきた。ローマ教会はキリスト教による王権の拡大という餌をちらつかせる。

・王権にしても閉廷した土地を(世襲によりコントロールの効かない地方代官を任命する代わりに)教会に寄進し、その行政を司教に任せる。司教ならば聖職者独身制により世襲の問題は起こらず、国の高級官僚にとどまる。

古代ローマ帝国滅亡依頼、あてどもなくさまよい続けてきた人々のアイデンティティが確立され、西ヨーロッパが誕生したと見なしている。なかには現在のヨーロッパ連合統合理念がまさにこのときヨーロッパ人の遺伝子に書き込まれたと見る向きもある。(29ページより再構成)

 

1157年「神聖帝国」の名称がドイツ諸侯への招集状で現れる

帝国が「神聖な」という形容詞を頂くのは俗権が教皇神権政治を断固として退ける決意表明であった。(97ページ)

 

1254年公式文書に神聖ローマ帝国の名前が現れる

神聖ローマ帝国ローマ帝国エピゴーネン(後裔)国家ではなく、現代的な意味でのエピゴーネン(亜流)国家へと墜していく最初の一歩でもあった。

 

1512年「ドイツ国民の神聖ローマ帝国という国号を正式に使用

ドイツ国民を付加する兆候は十五世紀末頃から始まった。帝国の実質的な支配領域がドイツとその周辺に限定され、「ドイツ国民感情の芽生え」の表現でもあった。(206ページから再構成)

 

1806年神聖ローマ帝国の解散を「ドイツ帝国の名前で行う

当時の人々は神聖ローマ帝国を単なるドイツ帝国としてしか見ていなかったのだ。つまり帝国は唯一の生命維持装置を自ら取り外し、すでに死に絶えていたのである。(15ページ)

 

神聖ローマ帝国に学ぶ、自ら権威を高める方法は?

自らの権威を高めるには、なりたい権威に壮大なネーミングをつける事、長く続ける事、他の権威を利用する事、だとわかる。歴史を10世紀の単位でみた時、我々が権威と思う事は何か、どうしてそれを権威と感じるか、余分な情報 がそぎ落とされる事で理解できる。

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人が権威を感じるもの、カール大帝戴冠式