毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

事を始める一人目の人間になる為に~我々は危機を乗り越える思考力をもっている。

気候文明史

田家氏は金融機関勤務を経て気象士となった経歴を持つ。本書帯より、「地球温暖化は人類の長い歴史の一こまに過ぎない。8万年にわたる寒冷化と温暖化の気候変化と人類は格闘してきたのだ。人類誕生、古代から中世、近世、21世紀まで、気候変化が世界の歴史をどう変えたのかを克明に解説」

 

農耕の始まり

現代に続く農業の発祥の地がメソポタミア北部の肥沃な三日月地帯であることは間違いない。現在のイスラエルにあるアブ・フレイラ遺跡では、一万二千年前以降の地層から、小麦、大麦を含む栽培化された種子がみつかっており、組織化された農業の開始時期はその直前とみていい。なぜ農業を始めたか。狩猟採集生活を営んでいた二万三千年前のオロハ遺跡からは、すでに野生の種子や果物の貯蔵を行っていたことが知られている。しかし、食物の貯蔵から農業の開始まで一万年もかかっており、農作物の栽培を行う同期は簡単には生まれなかったと想像がつく。狩猟採取民にとって農業が面倒な作業と感じたであろう。この事はアフリカ南部カラハリ砂漠に住むコイサン族と呼ばれる人々の生活様式からも想像できる。彼らは現在でも狩猟採取を続けているが、平均して週二日版程度しか働かない。

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グリーンランドの氷床コアの酸素同位体(分子量が通常の酸素16より大きいもの)の比率と気温に相関関係にある事を利用して気温の推移を推計。(22ページ) 

農業を始めるきっかけは、人工増加と気候変動の二つの要因があったと考えられる。最終氷期が終わり、寒冷期を経て温暖期になると、世界人口は急増した。氷期には世界全体で200万人から300万人であった人口が、ヤンガードリアス期の直前には温暖な気候の恩恵により850万人に増加したと推定される。人口が急増し狩猟採集生活が限界に近づいたときに、ヤンガードリアス・イベントによる寒冷な気候が到来したのである。南西アジアでは冷たく乾燥した北東風が吹くようになり、アブ・フレイラ遺跡のあるナトゥフ周辺では深刻が干ばつが長期間続いた。(51~53ページから再構成)

ヤンガードリアス・イベント(BC1000万年±700年)

最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った現象で、北半球の高緯度で、数十年の期間で起きた。グリーンランドの氷床コアの同位体データグリーンランドの山頂部では現在よりも15℃寒冷だった。これほど規模が大きく急激な気候の変化はその後起きていない。(Wiki)

筆者はこの原因を北米大陸の氷床が溶けて巨大な湖を形成、これが決壊した仮説を紹介する。具体的には①五大湖より大きな湖が決壊、②真水が海水に流れ込む、③北大西洋海水の塩分濃度低下、④海氷面積の拡大、⑤アルベルト(地球の太陽放射反射率)の上昇、⑥全地球的な寒冷化のメカニズムを辿る。(44ページ)

人類はヤンガードリアス・イベントを農耕で乗り切った。

数十年で急激に寒冷化する中で、人類は農耕を開始した。私は2つの事を考える。人は必要がなければ従来のやり方から抜け出せない。外的な環境の変化は強制的に変化する事を求める。これは人類という単位でなく、一人の人間の短い時間軸でも同じと気づく。

そして我々は1万年前を仮説、想像する力をもっている事に驚き、この知識と思考力を活用する事を行う事が人間の責務であると考えたい。

蛇足

農業をやろうとした一人目の人間、周囲の反対にあったはず。