波魯波魯儞に、の意味は?日本書記
森氏は日本語の古語の研究家。
巻頭に「皇極紀」の口絵がある。口絵後から4行目に歌謡が挿入されている。
波魯波魯儞 渠騰曾枳舉喩屢、之麻能野父播羅。(原文)
ハロハロニ コトソキコユル シマノヤブハラ(フリガナ)
遥遥(ほろほろ)に 言(こと)そ聞(きこ)ゆる 嶋(しま)の藪原(やぶはら)(日本語の表記、歌謡は中国語の発音で日本語を表音したことがわかる。)
720 年に完成した日本書記全30巻は、わが国最初の正史である。その記述に用いられた漢字の音韻や語法を分析した結果、渡来中国人が著わしたα郡と日本人が書き継いだβ郡の混在が浮き彫りにばり各巻の性格や成立順序が明らかとなってきた。(本書そでより)
日本書記はどうやって作られたか?
持統朝に続守言と薩弘恪が書記α郡の撰述を始めた。続守言は巻14から執筆し、巻21の終了間際に倒れた。薩弘恪は巻24~27を述作した。文武朝になって山田史御方がβ郡の述作を始めた。元明朝の和銅7年から紀朝臣清人が巻30を撰述した。同時に三宅臣藤麻呂は両郡にわたって漢籍による潤色を加え、さらに若干の記事を加筆した。こうして、元正朝の養老4年(720)に「日本書記」30巻が完成し撰上された。(228ページ)
蛇足
森氏はあとがきで、「私はこの本を書くために生まれてきた。」