毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

”エデンの園”はどこにあったのか?~『ものがたり宗教史』浅野 典夫氏(2009)

ものがたり宗教史 (ちくまプリマー新書)

浅野氏は高校で教鞭をとる、宗教は世界の歴史や文化を彩る重要な要素のひとつ。(2009) 

エデンの園

メソポタミア文明は、紀元前3000年くらいに、ティグリス川・ユーフラテス川の下流地域にシュメール人が建設した多数の都市国家にはじまりますが、そのなかにラガシュとウンマという都市国家がありました。この二都市が、前2600年頃から前2500年頃に、「グ・エディン」という土地をめぐって戦争を繰り返しています。そしてこのグ・エディンがエデンの園のモデルではないかというのです。争奪戦の対象になるくらいだから、とりわけ肥沃だったのでしょう。それが、のちにヘブライ人によって地上の楽園の代名詞とされたのではないかと考えられるのです。(16ページ)

ヘブライ

ヘブライ人は、前10世紀頃に自分たちの国家を建設するのですが、それ以前は部族ごとに牧畜などをしながら、オリエント地方を放浪していました。定住して安定した暮らしをしたかったでしょうが、すでに他の民族が占有している豊かな土地に、無理やり割り込み領土を獲得するだけの勢力がなかったのでしょう。(15ページ)

ティグリス・ユーフラテス地域

…麦と羊の原産地であり、麦は一粒播けば、20倍から80倍の収穫があったといわれています。19世紀のヨーロッパで麦の収穫は5,6倍くらいといいますから、これがどれほどすごいかがわかります。・・・ヘブライ人は、その豊かな土地に住むことができませんでした。(17ページ)

 

楽園追放

旧約聖書によればアダムとイブはエデンの園を追放される。そのエデンの園はどこにあったのか?紀元前2600~2500年頃の「グ・エディン」と、旧約聖書の成立時期(紀元前1000年以降)では1500年もの時間差がある。

旧約聖書ヘブライ人(後のユダヤ人)の神話、伝説、歴史、律法などの広範囲に及ぶものが長い時間をかけて編纂されたと考えられている。したがってエデンの園がティグリス・ユーフラテスの「グ・エディン」の唯一のモデルだったとは断言はできない。

今から3000年前、ヘブライ人が旧約聖書を編纂した。当時1500年の前の都市である「グ・エディン」の伝承を解釈したのかもしれない。それが今に連なる一つのイメージを成立させた。聖書とは神話、電気、歴史の混ざったものの解釈の集まり、と実感させる。

蛇足

シュメール・アッカド語の「エディン」は「平地」のこと

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