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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

キリスト教の”無からの創造”とは?~『無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源』J・D・バロウ氏

無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源

 バロウ氏は数理物理学者、哲学者は無を理解しようとし、神秘家は無を思い描こうとし、科学者は無を作り出そうとし、天文学者は無のありかを突き止めようとした。(2013)

 

無からの創造

キリスト教で言われる無からの宇宙の創造とは、有限の過去のある時点で、神が無から宇宙を出現させたという単純なものであると一般的に認識されている。・・・(宇宙は)何か他のものから作られたのではなく、創造されたのだ。(399ページ)

キリスト教と無

キリスト教の)無からの創造という教義は、天文学宇宙論について今日理解されるようなことを主張するために、キリスト教において誕生したわけではないということを思い起こすとよいだろう。いちばんの目的は、神と宇宙との関係について語ることであった。世界には意味と目的があり、世界は神に依拠していると主張することと、初期キリスト教がその体系を構築するなかで、当時流布していた他の新興体系とキリスト教との違いを明らかにすることが主な目的だったのだ。とりわけ、自然は神とは一体ではないと明言された。(340ページ)

ギリシャ思想との対抗から生まれた

世界はもともと存在する物質を使って作られたとする、敵対するギリシャ思想から導かれる神学的な帰結に対抗する必要が生じて初めて、この教義が統合され完成された。無からの創造は、初期キリスト教会の、ギリシャ哲学思想との論争の副産物のひとつにすぎない。(345ページ)

無の本

本書の副題はゼロ、真空、宇宙の起源、である。「宇宙は無から創造されたとする教義は、ほぼキリスト教の伝統にしか見られないものだ。」(336ページ)我々は文明的にあるいは文化的に西洋圏の一部を構成している。科学が常にキリスト教と表裏一体をなしてきたことは良く知られている。現代宇宙論では宇宙の初期にインフレーションの存在を予測する。それではそのインフレーションの前に何があったのか?そこに明確な答えは未だ存在しないが、キリスト教の教義の構造が何等かの説明原理となりえるか、という問題がある。著者はここでそれを歴史的に否定する。無から創造は、ギリシャ哲学との対抗から西暦150年以降(!)に導入されたものであることが解っているという。この点はキリスト教の歴史という点から重要であろう。

一方神が既存の物質に依存しない点が西洋科学の進歩―還元主義―の基礎となったことも間違いない。目の前に広がる一見矛盾に満ちた物質世界の上位に“神の意思”を設定した。従って物質世界を科学によって極限までの追求を可能とした。

我々は絶対的な無、“真空=エネルギーと物質が一切存在しない空間”が存在しない世界に生きている。量子物理学の時代、物質とエネルギーは等価であり、完全な無は存在しない。我々はこの完全な無の世界を人間の想像力によって拡張しようとしている。そこには宗教すら存在しえない概念の世界なのである。

蛇足

無は、無いという情報を持つ

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