毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

近代以前、東南アジアは胡椒、香辛料、絹・綿、染料を産む"豊饒の海"だった~『文明の海洋史観』川勝 平太 氏(1997)

文明の海洋史観 (中公叢書)

川勝氏は日本経済史、昨日の続き。(1997)

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近代はアジアの海から誕生した。より正確にいえば、海洋アジアからのインパクトに対するレスポンスとして、日本とヨーロッパに新しい文明が出現した。農業社会から工業社会への移行という「陸地史観」の常識に挑戦し、海洋アジアを近代の発生源とする「海洋史観」を提唱。

 ヨーロッパと日本の後進性

 

 

ヨーロッパは(イスラム圏から覇権を奪い)商業の復活以降、日本は倭寇の出現以後、アジア海域から大量のさまざまな物資を継続的に輸入し、輸入は拡大した。その見返りに、ヨーロッパは新大陸の貴金属を、日本は国産の貴金属(それに銅)を支払った。このような貨幣素材の流出は、当時の両地域の文明の後進性に由来するものであり、一時的な性質のものではなく、構造的性質を持っていた。(196ページ)

 

両地域は輸入品の国産化を図った

 

日本列島は土地が稀少であり、労働は豊富であったから、稀少な土地の生産性をあげるのが合理的選択であった。ヨーロッパ、労働が稀少である、海外に獲得した土地は膨大であったから、稀少な労働の生産性をあげるのが合理的選択であった。こうして18世紀にヨーロッパ特に西ヨーロッパと日本で生産革命がおこったのである。西ヨーロッパで進行した生産革命は「産業革命」といわれる。これは資本集約型・労働節約型の技術で、労働の生産性をあげることによって、商品の量産を可能とした生産革命である。一方、日本で進行した生産革命は、早水融によって「勤勉革命」と名付けられる。これは、資本節約型・労働集約型の技術で土地の生産性をあげ、商品の量産を可能にした生産革命である。(197ページ)

西ヨーロッパ

 

 

東南アジア一帯を東インドと呼び、国家の全面的支援を受けた東インド会社を組織して大々的に交易につとめた。その結果、ヨーロッパの近代社会の形成に、東南アジアは多大な影響を与えた。胡椒、香辛料、絹・綿、各種染料など、近代ヨーロッパの生活の基盤となった物は東南アジアとの交易を抜きには考えられない。

 

近代化は東南アジアの“豊饒の海”に始まる

 

 

(西欧と日本の近代化は)東南アジア豊饒の海に集まる巨大な物産複合へのレスポンスである。レスポンスが新しい近代社会を生み出すことになるほど市場圧力は大きかった。(211ページ)

 

東南アジアは豊かだった

 

著者は歴史を大陸に視点を置くのではなく、海に視点を置く。近代以前は東南アジアから産品を輸入していたが、ヨーロッパの生産革命と日本の勤勉革命により、逆転した。東南アジアに依存するのではなく逆に製品市場になり植民地になったという。それが近代の成立である1800年以前では東南アジアは世界の中で“豊饒の海”いう豊な地域だった。近代化以前の東南アジアは、そして日本もまた世界の中で違った位置を占めていた事になる。確かに近代で歴史は断絶している

蛇足

 

陸、海、そして今は情報空間へと視点がシフト

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