毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

第一次世界大戦から分かる日本と欧米の関係~今から100年前からの視点

第一次世界大戦はなぜ始まったのか (文春新書)

別宮氏は歴史評論家。「 オーストリアセルビアによる「限定戦争」のはずだった戦いは、なぜヨーロッパ文明を破壊するに至る大戦争となったのか。」
 

f:id:kocho-3:20140726214231p:plain

第一次大戦と欧州、そして日本

日本はアジアの一部ではなく、ヨーロッパの一部であるかのような歴史をたどった。今後もこの公算は大きい。かつての日本の悪夢は米露対立ではなく、英独対立であった。英独が対立し、米露がイギリスに味方をしたのが両次大戦であり、ドイツは2回ともほとんど単独でロシアまたはフランスを倒した。

さらに銃後の社会をも巻きこみヨーロッパ社会を根底から変えた。1914年におけるヨーロッパの総人口はおよそ4億人であった。第一次大戦に動員されたのは6500万人、そのうち戦死者は860万人であった。いずれの数字も第二次大戦より大きい。今も過去も戦争とはヤング・メンズ・ゲーム、すなわち男子若者の争闘である。ヨーロッパの若者は、ほとんど自発的に隣国の若者と小銃あるいは機関銃で塹壕を挟んで打ち合ったのである。(9ページ)

世界大戦の対立の構図

世界戦争は、多くの独立国を生み出した。しかし俄かに独立した小国は、世界情勢には影響しない。普独戦争は小さな戦争であったが、その後の世界、独墺VS露仏を決定的にした。第一次大戦はこの対立を軸に、日英米が露仏に加わった。第二次大戦においても大きく変わらなかった。墺が消滅し、日本が独サイドに変えただけであった。(32ページ)

f:id:kocho-3:20140726214406p:plain

巻頭 1917年末世界大戦外観図

帝国の衰退

帝国にはばらばらになりがちな地方を統一するメリットが存在する。オーストリア帝国のヨーロッパにおける定義は、オスマン帝国にたいする防波堤であった。しかし、1683年の第二次ウィーン包囲の失敗以来、オスマン帝国に対する防波堤であった。誤解も多いが、オスマン帝国の出目は、ヨーロッパのアドリアノーブルであって、ヨーロッパ国家である。(中略)実はオーストリア帝国オスマン帝国は裏腹の関係にあって、オスマン帝国の衰退は同時にオーストリア帝国の衰退でもあった。(90ページ)

国際紛争の解決方法

政府間の争い=国際紛争は、成文法がなく、この方法がとれない。19世紀では、外国駐在の大使・公使が、その国の外相を交えて、大国同士二国間の外交で解決した。大国が当事国に圧力をかけて譲歩させたのである。(中略)一方で国際連盟国際連合が成立した20世紀以降、戦争が急増したのは、こういった国際機構が無力であることを示している。(203ページ)

100年で変わったもの変わらないもの

f:id:kocho-3:20140726212042p:plain欧州連合 - Wikipedia

EU加盟国の地図と1917年当時の地図を比べてみる。EU人口は4.9億人、100年前に戻った様な印象を与える。我々の世界は100年前とつながっており、そして日本は100年前と同様今も欧米の動静に大きな影響を受けている。第一次世界大戦はなぜ始まったのか?ウクライナ情勢に言及するまでもなく、ロジックは今だ見つかっていない。

蛇足

日本はアジアに位置しているが西洋圏に組み込まれている。