毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

現代の自動車の直接の祖先はいつ生まれたか?~100年前の視点から考える次世代の自動車の動力は何か?、

自動車の世界史

エッカーマン氏はドイツの自動車ジャーナリスト「20世紀は自動車の時代。その黎明から、西欧、米国、そして日本の台頭へと続く自動車の技術的な進化を、グローバルな視点から詳述。」

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右上は1902年ポルシェが設計したエンジン+電気モーターのハイブリッド消防車!

 

 黎明期の自動車の動力源は様々なものが試されていた

道路走行機械に最も適した駆動システムは、1990年頃までアメリカでは不明確であった。高圧空気、ばね及びガス・エンジンが、ガソリン、電気および蒸気車と競い合った。(中略)シェナジューが、1899年にパリ均衡において、流線型ボディによの電気自動車で100㎞の壁を初めて破った自動車ドライバーとなるのに成功してからは、多くのアメリカ人は電気駆動システムのみを将来性があるものと認めていた。彼らは蒸気駆動を一応認めていたが、補記類の故障が起きやすい内燃機関は、技術的袋小路にはまっていると考えていた。

ガソリンエンジンの優位性を確立したのがメルセデス

オーストラリアの大商人で、ダイムラーの南フランス代理店を営んでいたエミール・イエルネクは自動車レースに勝つことが販売促進の最も効率的な方法であると考え、少なくとも(既存のダイムラーの馬力)24PSのエンジン出力をもち、他社より走行安定性の優れたレーシングカーを作る計画を立てて実行した。(中略)マイバッハはイエルネクの娘の名前「メルセデス」をつけたレーシングカーの製作を始めた。

1900年「画期的エンジン」

メルセデスの中核は新しく作られた4気筒エンジンであった。その比出力はマイバッハの構造的な改善、すなわち軽合金クランクケース、吸入バルブ制御、ダブルカムシャフト、ハニカムラジエーターによって増大された。努力目標の30PSはおろか完成テストで35PSが得られ、それまでの自動車エンジンのすべての記録を上回った。

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前面に配置されたラジエーター、スリーポイントスター(ベンツのマーク)は未だない。

 Mercedes-Benz Simplex 40 PS 1900. Mercedes-Benz Museum. CarshowClassic.com - YouTube

現代的自動車の構造の成立と、世界中がこの自動車デザインに集約

メルセデスマイバッハは、それ以前あるいはそれ以後の他のいかなるものにも類をみないような影響を自動車構造に及ぼした自動車を作った。エンジンの前にラジエーターを置いてエンジン・カバーでそれをつなぎ、台枠を低くし、ホイールベースを低くして後期モデルでは前後のホーイールを同じ大きさとして、クッチェや二輪車の堅いと技術から自動車を最終的に引き離した。そのレイアウトは今日まで通用するものであった。(68ページ)

将来の自動車の動力源を考える

1900年ダイムラーが24PSから35PSへ50% もガソリンエンジンの高出力化に成功した原因は何だったのだろうか?本書でも鋼材を使ったフレームの高い剛性がラジエーターを車両先頭に持ってきた事に触れる。今となっては何が主因かは不明であるが、部品の信頼性向上、新しい材料の登場など、周辺技術が内燃機関の潜在力を引き出しと見える。本書によれば現代的電気自動車(EV)の再解釈は、1996年のGMインパクト」、航続距離120㎞弱。1996年の時点で将来の動力源としてガスタービン・EVハイブリッド車を紹介している。将来の動力源は、EV、燃料電池車も含め様々な選択枝があり、それは我々がまだ知らない新しい部品、新しい素材が鍵を握っているのかもしれない。

蛇足

メルセデスはオーナーの娘の名前、ブランドビジネスでもある。