毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

オリンピック  想像の共同体

2013年9月に東京オリンピック2020年の開催が決定した。自分が生きている間に母国で開催するのは嬉しい。

 近代オリンピックの第1回は1896年、フランスのクーベルマン男爵の提唱でアテネで開催された。オリンピックの出場単位は国=国民国家Nation Stateである。

定本想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)  

 1936年生まれの米国の政治学者ベネディクト・アンダーソンナショナリズム研究に関する研究書、日本での翻訳が1984年、1991年、2006年と改定・増補が出ている。

 

国民国家とは「平等一体なる国民の共同事務機関」である。 

国民はイメージとして心の中に想像されたものである。

国民は限られたものとして、また主権的なものとして想像される。

そしてたとえ現実には不平等と搾取があるにせよ、国民は常に水平的な深い同志愛として心に思い描かれる。そして、この限られた想像力の産物のために、過去二世紀にわたり数千、数百万の人々が、殺し合い、あるいはみずからすすんで死んでいったのである。(表表紙から)

 

 最後のセンテンスの「殺し合い、あるいはみずからすすんで死んでいったのである。」を「スポーツを通じて競い合い、あるいはみずからすすんで困難な練習と選抜に挑戦していったのである。」と読み替えたらオリンピックの描写になる。 

 本書では国民意識の起源を1500年の出版物の発展による複製技術の時代=同時性の観念の成立に求める。行政単位、言語、帝国主義、などと議論をすすめ、直近の人口調査、地図、博物館などの例を解説している。国民国家としてみて1813年のウィーン会議国民国家の黎明期とみればちょうど200年前の出来事である。これを知ったうえで「想像の共同体」の一員として大いに楽しみたい。

蛇足

次のリオデジャネイロオリンピックの開催国ブラジルの独立は1822年。

 

 

 

 

 

 

 

 

オリンピックの出