毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

イノベーション信仰は日本と米国だけではない~『国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度も再生できた理由』古市 憲寿氏(2015)

国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度も再生できた理由

 古市氏は社会学の研究家、フィンランドと日本、社会学者が“折れない国家”フィンランドの秘密を探る社会文化論。(2015)

 

イノベーション信仰~カティア・ヴァラスキビ(フィンランド社会学者)

イノベーション信仰とはフィンランド独自のものではなく、多国籍、超国家的な信仰体系である。その中心概念は、自由競争であり、国家、企業、地方自治体、および各個人までもが成長と、他からの投資を促す魅力を追求することである。(223ページ)

イノベーション信仰は宗教である

ナショナリズム研究者のベネディクト・アンダーソン国民国家を宗教と同一のものと見なしている。彼によれば、国民国家が、近代化以前の宗教の役割を担うようになった。・・・グローバル時代にあって、国民国家の存在自体も疑問視されその将来が脅かされている。「変革、さもなくば死滅か」の謳い文句は、国家や企業を衰退と死滅へと導く脅威を言い表したものだ。同時にそれはイノベーションを新たな救済、可能性と見なし、将来への道しるべを示すことでもある。イノベーション信仰はいわばアンダソーンのいう「代替による継続」を提供する。他の信仰と同じく、そこでは最終的にはすべてうまくいくであろう、と信じこむしかないのだ。(232ページ)

ヴァラスキビ論文に対する古市氏のコメント

中世のように誰もが神を信じられるわけではない。近代のように、強大な国家があるわけでもない。そんな現代では、「イノベーション」を唯一の宗教として崇めなくてはならない。著者は・・・「イノベーション」に対して皮肉な見方をしている。(232ページ)

国家がよみがえるとき

フィンランドは1917年に独立してから100年しか経っていない。第二次世界大戦ではソ連に敗戦、その後ソ連経済に組み込まれるもソ連崩壊の余波を受ける、ノキアの携帯電話で世界を席巻するもスマホに乗り遅れ実質的に消滅、と何度も挫折の体験を経てきた。

本書はフィンランド社会学者によるフィンランド社会の論文を掲載したものである。その中の一つがイノベーション信仰をどちらかというと批判的に論じたもの。

イノベーション信仰という文脈で見るとき、日本とフィンランド、あるいは米国も含む西欧社会のほとんど、いわゆる先進国はまったく同じ状況であると気づく。実はアベノミクスが掲げる政策もまた、諸外国と大差のない、そして残念ながら安直な回答のない、ものなのである。

私はこれまで「イノベーションは善である」というスタンスに立ち、イノベーションをするのは日本の様に成熟した国に課せられた義務だと考えてきた。本書でこれは間違いであると知る。正解は、日本だけでなくフィンランドも含め先進国が皆に「イノベーション信仰」を必要としている。

フィンランドでは極右政党が第二党で与党入りしている。現代はイノベーション信仰と同時にナショナリズム信仰も同居する社会なのである。その意味で「イノベーション信仰」が未来に夢を見、ナショナリズム信仰は過去に夢を見る。そして夢を見たから正解に辿りつけるとは限らない。我々はこんな世界に住んでいる。

蛇足

フィンランドは高度成長の80年代、北欧の日本、と呼ばれていた。

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