人生という長旅を謳歌する方法~『いちばん危険なトイレといちばんの星空―世界9万5000km自転車ひとり旅』石田ゆうすけ氏(2010)
いちばん危険なトイレといちばんの星空―世界9万5000km自転車ひとり旅〈2〉 (幻冬舎文庫)
7年半もぶっ通しで、自転車で世界を旅した著者。行かずに死ねるか、の続編(2010)
旅のマンネリ化
南米では旅は2年目を迎えた。1年というひとつの区切りを終え、さらにメキシコ・中米で第三世界のカルチャーショックをひととり経験してしまうと、それからの旅は自走から帆走に切り替わったように感じられた。“非日常”であるはずの旅の日々が“日常”になり、淡々と流れだしたのだ。
ぼくにとって世界一周は一気にやることに意味があった。・・・大陸や地域を区切ってまわるやり方もあるだろうが、それではぼくは納得がいかなかった。だから7年半も出っぱなしだったのだ。・・・旅が長くなればなるほど、言い方を変えれば、毎日変化だらけの日々が続けばつづくほど、感受性はすり減っていくように感じられる。(272ページ)
南米からヨーロッパへ
(南米でマンネリズムになって)早々に南米を切り上げてヨーロッパに飛んだ。世界が変れば、ふたたび好奇心が高まるかもしれないと考えたのだ。
はたしてその予感は的中するのだが、それもはじめのうちだけで、やがてヨーロッパの空気にも新鮮味を感じなくなっていった。考えたすえに、今度はロンドンでアパートを借りて働いてみた。つまり旅という“日常“から、定住、そして労働という”非日常“に入ることで、ふたたび旅の価値を高めようとしたのだ。どうやらそれはうまくいったようで、半年後にロンドンを発ってからは、旅が変った。・・・より味わいのある旅になったように思う。(275ページ)
長旅をするのなら
旅の質を重視するなら期間は長くてもせいぜい1年が限度じゃないだろうか。・・・新鮮な感受性にのみ価値をおくなら、旅は1年といわず、2,3か月で区切ったほうがいいかもしれない、。(273~275ページ)
7年半の経験から石田氏が伝えてくれたこと
大切なのは、景色も人もつねに変化するという行為ではなく、何一つ変わらない日常からでも、常に新しい変化を見つけ出す力ではないだろうか。(274ページ)
書くという作業を通して、もう一度世界一周をしている気分に浸れたのは痛快でした。前作とあわせて、ぼくは世界を三周したことになります。(309ページ)
いちばん危険なトイレといちばんの星空~自転車一人旅Ⅱ
石田氏は7年半自転車一人旅を続けた。旅の目的は自己満足なのだから、そこに見出す意義もまた自己満足に過ぎない。その石田氏も実は自転車一人旅1年目で実はマンネリズムに陥った時のことを告白する。1年も旅を続ければ非日常も日常になってしまう。日常では感受性がすり減り目的が薄れ、ただ単に移動しているだけに陥る。
石田氏は旅を日常にしつつも、そこから常に変化を感じ取る感受性を維持することに努力した。私は石田氏が旅のエッセイを日本に送っていた=読者とのつながりがあった、ことも感受性の維持、モチベーション維持に大きかったと思う。更にその記録が本書につながっている。
日常を終えることは死を迎えるまではできない。「日常から常に変化を見つけ出す力」という感受性を維持し続けられるか?人は自分の想いを誰かと共有しないと生きていけない。7年半の長旅を続けた石田氏は生を謳歌するヒントを与えてくれている。
蛇足
重要なこと、自分の想いを第三者に伝えること。
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石田氏が7年半の自転車一人旅を終えて帰国し、一番多かった質問が「どこがいちばんよかった?」だったそうである。本書は個人的な一番に関するエピソードを綴る。それらのエピソードも愉しいのだが、7年半という長旅の精神的な影響についての話に注目した。
いちばん危険なトイレといちばんの星空