毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

あなたには垂直に降りられますか?~『モノ造りでもインターネットでも勝てない日本が、再び世界を驚かせる方法―センサーネット構想』三品和広氏(2016)

モノ造りでもインターネットでも勝てない日本が、再び世界を驚かせる方法―センサーネット構想

三品氏は企業戦略論、あの圧倒的な存在感は完全に消えてなくなり、モノ造りは新興諸国に、ネットの世界はアマゾンやグーグルを擁するアメリカに、完全に押さえられてしまいました。(2016)

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垂直シフト

(経営戦略の)醍醐味は次元間の垂直移動にあることを知る必要があります。なかでも競合が特定の次元の最適化にこだわっている間に、その上の次元で優位を築く戦法は古典的で「技術のニッサン」が製品開発に埋没するのを尻目に独自の生産方式を脈々と築き上げたトヨタ自動車を名手として挙げることができます。旧い事例ではありますが。この手口は今日も有効性を失っていません。・・このように上方移動が華麗に決まるケース以上の威力が大きいのは下方移動です。いったん定めた次元は封印して、人々の関心は立地から構えへ、構えから製品へ、製品から管理へと移りがちですが、定めた時点で最適と思われた選択も年月が経つなかで次第に合理性を失っていくため、下の次元に立ち向かい、従来とは異なる選択をし直す余地が生まれるのです。(まえがきX)

アメリカが大量生産を確立したのは1920年

フォードは1923年あkら1925年の3年間にわたり、年間200万台を販売して絶頂期を迎えます。・・・ライバルのGMやクライスラーもフォードの大量生産システムを取り入れ、掃除機やラジオといった家電製品のメーカーもコンベアーシステムで大量生産に挑みました。「大量生産」という用語が定着したのは1920年代のことで、それから10年余、アメリカの生産性は世界首位に踊り出て、ほとんどの生産品目において2位の国に2倍の差をつけるほどになったのです。(47ページ)

アメリカは製造業を捨てた、そして日本も、、、

製造業の従業員数がピークに達したのが1979年で、それ以降は従業員数も減っているのです。大量生産の覇権がアメリカから日本に移る過程で、もはやアメリカの製造業は儲かる産業ではなくなっていました。そして、アメリカは軸足を製造業から製造業の周辺産業に移していきます。大局的に捉えるなら、アメリカは儲からない製造業を日本に譲って、その周辺サービスで日本から儲ける道を選んだのと見ることができます。(65ページ)

日本でも製造業の給与水準の相対的な低さが目立ちます。モノが全世帯に普及してしまうとモノ余りの状態に入るのはアメリカも日本も変わりません。アメリカの製造業が味わったのと同じ苦境を日本が味わうのは、避けがたい宿命と見るべきなのでしょう。(68ページ)

アメリカの垂直シフト

1980年代に(大量生産から)方向転換を迫られたアメリカが、制度次元にメスを入れて逆襲する策に出てくると、日本は金縛りにあってしまったのです。私の官職では、立地次元にメスを入れる好機は四半世紀に一度という頻度で巡ってきますが、制度次元となると好機は半世紀に一度くらいしか巡ってこないので、たいていの人は意識することもありません。(ⅶ)

20世紀と21世紀の境目で、アメリカは優位の基盤を「規模の経済」からネットワークの経済に移しました。恐るべきスケールの変更です。それを民間主導で成し遂げたあたりは、アメリカの面目躍如といったところでしょうか。(122ページ)

我々は制度次元にまで降りられるか?

アメリカは規模の経済を追求する製造業の大量生産モデルから、広告や金融といった製造業に周辺にシフト、最終的にはネットワーク経済に移行していった。それは株式会社というプレーヤーの交代によって実現していった。プレーヤーの交代をつぶさに観察することでそこにアメリカがネットワーク経済という「制度の変更」を達成しいていた。制度の次元において、商工サービスの事業を支える社会的な枠組みを組み替えていたのである。そこに根本的にビジネスの形を変えたアメリカの強さを見出す。今我々に必要なことは制度次元にまで降りて、考えなおすことである。

蛇足

一番源流まで垂直に降りる勇気

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