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2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

全知全能神があなたを見ていると想像して、考えることは何か?~『宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド氏

宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰

 ウェイド氏はサイエンスライター、原始社会において宗教はなぜ不可欠だったのか、信仰の本能はいかにして人間の本性に組み込まれたのか?(2011)

 

宗教とは

 

宗教とは、感情に働きかけ、人々を結束させる信念と実践のシステムである。そのなかで、社会は祈りと供儀によって超自然的存在と暗黙の交渉をし、指示を受ける。神の懲罰を怖れる人々はその指示にしたがい、自己の利益より全体の利益を重んずる。(18ページ)

どうして超自然的存在が生まれるのか?

多く宗教にあるもうひとつの興味深い面は、超自然界の代理人は全知全能であり、人間の考えも細部までくわしく知っているとされていることだ。この代理人の能力が、他人の考えを推察する人間の能力(いわゆる「心の論理」)と似ていることに注目する研究者もいる。…ほとんどの社会状況において、人は自分のことばや行為に対して他人がどう反応するかを予測する必要があるからだ。他人の考えを推論する能力に通じている人間は、神もまた心の理論を持つと想定し、神のそれは人間の考えを完全に読み取れるほど鋭いと考えたのだろう、…(65ページ)

神の懲罰

協力しない者は厳しく罰されるという想定がなければ、これほどレベルの高い自然な協力関係は生まれなかった。しかし問題は、誰が罰を与えるかだ。小さな社会では、法の執行役を引き受ける者はまわりの敵意を買う。…超自然の懲罰システムは、原始社会に多大な利益をもたらした。懲罰というありがたくない仕事を誰も引き受ける必要がなくなり、逸脱者やその親族から殺される危険を背負わなくてすんだ。代わりに神が念入りにこの仕事をするようになったのだ。法律の制定は不要だった。罪とそれに対する罰は宗教儀礼のなかで示され、信者はみなそれを心に留めた。警察もいらなかった。信者はみずから行動を規制し、罪を犯せば神の懲罰が下ると怖れていた。(63ページ)

宗教の原点~集団での一体感

(世界史と戦争史の研究家であるウィリアム・マクニールは1941年アメリカ陸軍に徴兵され、何時間も行軍演習をしていたとき)“みんなで足並みをそろえて行進するのはなぜか心地よいとマクニールは感じた。“訓練中、全員一体となって何時間も体を動かすうちに湧いてきた感情を、ことばでは十分言い表せない。前進に幸福感が広がったのは憶えている。もっと具体的に言うと、自分が広がったような奇妙な感覚、膨張したような、現実の自分より大きくなったような感覚だった。共同訓練のおかげである。”マクニールが語っているのは、集団でおこなうリズミカルな運動は感情に力強く奇妙な影響を及ぼし、高揚感と、ほかの参加者たちとの一体感を生み出すということだ。(90ページ)

宗教が果たしてきた役割

宗教は社会の質を高め、戦いを価値あるものにし、社会を守るために命を投げ出させる。ほかの条件が同じなら、宗教的傾向のつよい集団は結束力が強く、そうでない集団と比べかなり有利だったはずだ。成功した集団は、より多くの子孫を残す。宗教行動の本能を発現させる遺伝子は世代を経るごとに勢力を増し、やがて人類全体に広がったのだろう。(13ページ)

進化論からみたヒトと信仰

 

著者は信仰や宗教が本能に根差したものであると考える。宗教は集団の安定と発展に寄与してきた。宗教が悪用されたことはあるが、それは宗教が悪いのではく、悪用した方が悪かった、と考える。

更にウェイド氏は宗教を、社会にとって最も役立つ「道徳や軍事は生殖行動に関する実際的な知恵の結集」と説明する。全知全能の神がいて、神を推測する「心の論理」はそれを認識できると仮定することで、人は更に良い生き方を探索することが可能になる。宗教は今後もなくならない。

蛇足

kocho-3.hatenablog.com

 

 

具体的な神の存在しない宗教もある。

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