毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

イスラム主義者、中国、市場原理主義の台頭はいつ始まったのか?~『すべては1979年に始まった』C・カリル氏(2015)

すべては1979年から始まった: 21世紀を方向づけた反逆者たち

C・カリル氏はジャーナリスト、イスラム主義者や中国、市場原理主義は、ここまで台頭したのか? 1979年は「市場」と「宗教」が支配する21 世紀を運命づけた時代の転換点だった。(2015)

 

 

市場と宗教

 

 

1979年に解き放たれた力は、20世紀のかなりの部分を支配した社会主義ユートピアの終焉の始まりを意味していた。5つの物語-イラン革命アフガニスタンでの聖戦の始まり、サッチャーの選挙での勝利、ローマ教皇の初のポーランド巡礼、中国の経済改革への着手―は歴史の道筋をまったく異なる方向へと向かわせた。長年無視されてきた「市場」と「宗教」という二つの力が、猛烈な勢いで舞い戻って来たのが、1979年だった。(14ページ)

 

イラン革命

 

イラン革命は、イラン社会を根底から変えるとう目的を紛れもなく達成した。シャーとその体制を取り除き、野心的な欧米化プログラムの多くを急停止させている。(376ページ)

イラン革命はその力を、シーア派聖職者の確立した制度と、20世紀の中央集権国家の台頭との両方から得ていた。(382ページ)

アフガニスタン

 

ソ連の侵攻は、ゲリラ戦の転換点となった。(アフガニスタンの)自国の共産主義への協力を決めかねていたアウガン人にとって、ソ連の(侵攻)の動きは劇的に事態を明白にした。イスラム・ゲリラは、もはやカブールの政府を遠く離れたモスクワの無神論者の操り人形だと避難する必要はない。(353ページ)

サッチャー政権

 

 

1979年のイギリスは驚くほど「集産化」された国で、2500万人の有識者のうち3分の1近くが公的部門で働き、公務員の数は39年の約2倍に膨らんでいた。製造部門で働く者の約半数は、国営企業に雇用されていた。(244ページ)

 

ローマ教皇

 

 

教皇の帰国は、現実には、ポーランド人民共和国共産主義政権に根本から挑戦するものだった。社会主義体制は、公式には世界最高の体制であり、あらゆる物質的・精神的問題が解決されてきた。一方、教会は古く遅れた秩序を代表するものであり、迷信や曖昧さにあふれ、啓発的な共産主義支配とは長く無縁だった。(261ページ)

 

中国の計画改革

 

1979年1月27日、鄧小平は訪米前に、さらなる改革の必要性を認めるかに見える演説を行った。社会杉の失敗を認め、中国は民主主義の実践において「ブルジョア国家」を真似るべきだとまで宣言している。(238ページ)

鄧小平らが勝利したのは、何百万人もの中国人の独創性や起業への欲求を開放したためだった。その多くが、考えてみると衝撃的かみしれないが、中国共産党員ですらなかった。(320ページ)

社会主義ユートピアの正体

歴史を俯瞰してみるとソ連の実態は発展途上の経済を計画経済によってキャッチアップしたこと、オイルショックによる資源高による外貨獲得による経済成長、の2点であっ。第二次世界対戦から数えること約25年の1979年社会主義ユートピアは市場と宗教の挑戦を受けることになる。一つはローマカトリックが東ヨーロッパの人々を呼び覚ました動きである。もう一つはイスラム教が政治、あるいはナショナリズムと合体した動きでもある。

また、1979年は中国が再度「市場」復帰した年であり、多くの起業家たちが目覚めた年でもあった。そして多くの起業家の成功が中国の成功へとつながっているのである。

21世紀は1979年に始まっていた。

蛇足

 

1979年、”Japan as No.1”が出版された。

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