毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

どうして我々は活断層の側に「あえて」住んでいるか?~それにはメリットがあるから、

日本人はどんな大地震を経験してきたのか (平凡社新書)

2014年11月に発生した長野県北部地震は神城断層のずれによる内陸型地震だった。改めて地震と日本の社会の関係を考えてみた。

寒川氏は地震考古学を研究、「地震といかに付き合っていくか。これは、日本に暮らすすべての人の課題です。」2011年刊

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地震とナマズは日本固有の文化、そのルーツは1593年秀吉の書簡に行き着く。 

 

活断層が高低差を生む

 

 

活断層の)多くは、山地と平野・盆地との境界に位置しています。活断層にとって「地形の境界」とは、住み心地のよい時なのでしょうか?・・・ある場所で活断層という傷が生じて、断層活動を繰り返すうちに、そこが地形の境界になったのです。仮に、ある活断層が200年ごとに活動して、両側の地面が上下に2メートルずつ食い違うとします。すると活断層を境にして、1万年で10メートル、10万年で100メートル、100万年では実に1000メートルもの高低差が生まれます。・・・断層活動(地震)を繰り返すことによって、活断層の片方の側が上昇しつづけて山地となり、反対側が沈降しつづけて平野や盆地・湖になるのです。(23ページ)

 

活断層の境目の平野・盆地

 

 

隆起しつづける山地は、地形が急峻で、崩壊や地滑りが起きます。そして崩れ落ちた岩屑や土砂は、河川の下流に向かって運搬されます。さらに、断層の反対側で沈み続ける平野や盆地に流れこんで、洪水を起こしながら、広い範囲を均等に埋めるのです。このようにして、新しい地層が堆積しつづけて平野や盆地は平坦で水はけがよく、人々の暮しに適しています。私たちは断層活動によって沈降する地域に住みついて、水田耕作などを営み、そこに、大きな都市が発達したのです。(24ページ) 

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産総研:関東平野地下深部に特定された中央構造線

我々は活断層の上に住んでいる

 

活断層の地図の琵琶湖の周辺にフォーカスしてみる。西に活断層、東に琵琶湖、正に活断層の側に湖ができ、そこに都市が形成された。我々は日本列島というサイズで見て活断層から逃れるのは容易ではない。視点を地球サイズにしてみると活断層とプレートが同様の関係になっている事に気づく。日本列島はユーラシアプレートと太平洋プレート、北米プレート、フィリピンプレートの境界線に沿って位置している。我々は活断層の、プレートの境界の肥沃な土地に住んでいるのである。

日本列島と歴史

 

本書によれば日本で最古の地震の記録は416年日本書記まで遡る。日本列島はこれからも多くの地震に見舞われる。定義によれば一番活発なA断層は「1000年あたりの平均的なずれの量が1 m以上10m未満のもの」、我々の歴史の時間軸で捉えられる動きと言える。

蛇足

 

我々はあえて断層の側に住んでいる

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