毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

そのとき、愉しみとしての読書が生まれた~500年前のヴェネチィアが生み出したもの

そのとき、本が生まれた2013年4月の刊行

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16世紀のヴェネツア

出版事業が成立するには3つの条件が揃っていなければならない。すなわち知識層の集中、豊富な資本、そして高い商業力である。・・・パドヴァ大学から近いことで知識資本が形成され、農業から転向した商人が様々な投資を行って金融資本を生み出す。15世紀末のヴェネツィアの商業力とネットワークは、ヨーロッパの他の国を寄せつけなかった。

ヴェネツィアは本の都~それは自由の都

ヴェネツィアがとりわけ自由の都だったということだ。・・・実際、1553年までは検閲も行われていなかった。それには理由があって、ヴェネツィアがでは他の都市では想像もつかないほど、外国人による様々な宗教の共同体が生まれ、発展していた。・・・ドイツではカトリック教会の庇護のもとに印刷術が生まれたんに対して、ヴェネツィアでは人文主義者のサークルに集まった貴族が資金を出しあった。・・・16世紀前半に出版の自由がほぼ保障されていた。資金と自由にあふれた都市に、花に群がるミツバチのごとく、実業家が集まるのは当然であろう。・・・出版が最も活況だったのは1526-50年にかけてで、ヴェネツィアではイタリア全土で出版された本の約3/4,ヨーロッパ全体の半分が刊行された。(29ページ)

ヴェネツィアを代表する出版人

マニーツィオはまぎれも天才で、革新者、革命家でもある。・・・(彼の)功績は、何と言っても本を娯楽の対象としたことであろう。つまり、読書の楽しみを生み出したのだ。それまでは、もっぱら祈祷や学習の道具として用いられていた本を、余暇の時間に手にすることになったことは、まさに知的革命に他ならない。またマニーツィオは現代で言う初の出版人でもあった。・・・マニーツィオは知識人で、出版する本も売れ筋の作品だけでなく、きちんと内容をみて選んだ。彼は文化的な教養と技術、そして市場が求めているものを理解する直感を併せ持った希有な人物で、出版界はこの時代を境に大きく発展する。したがって、様々な分野の第一人者がマヌーツィーオに協力したのも当然と言えよう。(36ページ)

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当時のベストセラーポリフィルス狂恋夢:Lumière!:So-netブログ

マヌーツィーオ(マヌティウス1450-1515年)は、15世紀に活躍した、商業印刷の父と言われるルネサンスヴェネツィアで活躍した出版人。1494年にはアルド印刷所を設立しヴェネツィアから多くの名著を出版し、子・孫の3世代に渡って印刷文化を牽引した。(Wiki

マニーツィオは娯楽の為の読書を生んだ

マニーツィオは出版界に起こりつつある革命を十分に自覚していた。(彼は)文庫本の登場によって政治家や学者が余暇に読書をするようになったと報告し、一方で傭兵隊長には戦地へ赴く際に小型の本を持っていくようにすすめている。こうして読書は勉強だけでなく娯楽の対象となり、学習のためのみならず、気晴らしに本を読むという考えは500年を経た現在にも受け継がれている。

マニーツィオは本の需要と供給の両方を革新

マニーツィオは文庫サイズ、イタリック体、ピリオドとコンマ、を書物に持ち込んだ。これらは書物を小型化し、読みやすしたというインタフェースの改善である。これに留まらず自らの知識に基づいて宗教書以外のテーマ=娯楽に拡張、これはコンテンツの刷新と言える。更にギリシャ語の勉強サークルを設立し当時の知識人のネットワークを形成する事も行った。その結果が「娯楽の為の読書習慣の確立」である。私はイノベーターが生み出したと捉える。それをヴェネツィアの資本主義が出版産業を生み出した言い換えたければそれもまた可能である。本好きとして、マニーツィオに感謝します。

蛇足

読書は500年前に始まった