毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

かぐや姫はどうして天に帰ったか?~富士山の噴火との関係から構造を読み解く

竹取物語

竹取物語』は、日本最古の物語と伝えられ、「物語の祖(おや)」とも言われる。遅くとも平安時代初期の10世紀半ばまでには成立したとされ、かな(元は漢文)によって書かれた最初期の物語の一つである。「竹取の翁(おきな)」によって光り輝く竹の中から見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚。かぐや姫は五人の貴公子から求婚を受けるもこれを退け、帝から召し出されても応じず、八月の満月の夜に「月の都」へ帰る。竹取物語 - Wikipedia

「 かぐや姫記紀神話が葬り去った 原始の〝火山の女神〟だった! 知られざる大地動乱の古代列島社会の実像を解明する! 」(本書宣伝より)

 

どうしてかぐや姫は天に帰ったのか?

9世紀は、富士山が知られる限りでもっとも激しい噴火活動を展開した時期であった。・・・864年の大噴火では溶岩流は北部に流れ、現在の富士五湖の情景を作り出したのである。・・・かぐや姫を祭る煙が富士山山頂から天に上げられたのは必然的なものであったことが明らかになるだろう。かぐや姫はやはり火山の女神だったのである。(202ページ)

 
竹取物語と王権神話

すべての出発点は大和王朝の最高の天空神であり、火山神としての性格をもつタカミムラスビが、王家の祖先神という神格を付与されたアマテラスに、その座をゆずったことであった。王家の宗教の内部から神話的な自然崇拝は後退し、血統の崇拝、祖先崇拝の体系が残った。・・・竹取物語かぐや姫伝説は、そのように火山神が社会意識、対外意識の表層から消え去っていく最後の段階で登場したのである。

神道の性格

神道は東アジアにおける儒教道教などの現世宗教の一類型であり、特に道教wお原型としている。現世宗教は現世を観念的に超越する偶像的な価値を主張しない。・・・神道についていえば、もっぱら自然に対する「忌み」の心情が基軸となるのであるが、東アジアと比べた場合の、その最大の特徴は、その結晶軸が道教という異民族の民族宗教であっただけに、開祖も教典も存在しなかった点になる。・・・そのため日本の神道は、東アジアの現世宗教と比べても、宗教らしさがきわめて希薄となった。いわゆる言上げ(ことあげ)をしないと言われる特徴である(以下略)(206ページ)

 

竹取物語が示すもの

保立氏の主張をまとめる。火山神であるかぐや姫は神話の故郷、天に帰っていき、現世には帝が残り神道の時代へと移行した事が暗喩される。かぐや姫はどうして天に帰っていったのか?火山神なのだから煙の様に天に戻っていく。そして現世、あるいは世俗は道教をベースにあえて宗教色を希薄化された神道が残されたという事。

蛇足

かぐや姫は8月の満月の晩に帰る