毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

フェイスブックの「いいね!」を押しながら考えた「一般的他者の視点」~心理学・哲学のアプローチ

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

山竹氏は哲学・心理学の研究家。本書は2011年の発刊。

当時の帯より、

「『空虚な承認ゲーム』をどう抜け出すか。その『答え』ならぬ『考え方』を教える本書は、規範喪失の時代における希望の書である」(斎藤環氏)。

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204ページ~一般的他者の視点

 

社会的規範が存在していた時代から近代社会へ

近代以前の西欧社会ではキリスト教の価値観が強い影響力を持っていたので、その価値観に反する行動はほとんど不可能であり、個人の自由は存在しなかった。ところが18世紀以降、市民革命と資本主義の発展にともなって、個人が自由に生きる条件も次第に整いはじめた。といっても「人間は生まれながらにして自由であるが、しかしいたるところで鉄鎖につながれている」というルソーの言葉が示すように、最初はまだ伝統的価値観の影響力が強く、自由な行動は数多くの制約があった。伝統的価値観に反する行動は社会的承認が得られず、周囲の信用を失ってしまう危険性が高かったのだ。

現代は極端に社会規範が希薄化

科学の進歩と産業の発展、二度の世界大戦、マルクス主義の退潮、そして消費社会の到来によって、先進資本主義諸国においては伝統的価値観の影響力が弱くなり、多くの人が特定に考え方に縛られず、自由に生きられるようになっている。しかしその一方で誰もが認めるような行為の規準が見えにくくなり、何をすれば他者に認めてもらえるのか、きわめて不透明な状況になったのも事実である。

「身近な人間の承認」の範囲内へ自己表現を自ら抑制

この為多くの人間は、自分の感情や志向を自由に表出すること、自由に行動することを抑制し、身近な人々を承認するために、彼らに同調してしまいやすい。自由と承認の葛藤は、いまや「個人の自由」と「社会の承認」の葛藤ではなく、「個人の自由」と「身近な人間の承認」の葛藤になっている。

「身近な人間の承認」から「一般的他者の視点」への拡大

自己了解と「一般的他者の視点」による内省ができるなら、私たちは身近な他者の承認のみに執着せず、「見知らぬ他者」の承認を確信することで、また自分の意志で行為を選択することで、自由と承認、両方の可能性を切り開くことができる(216ページ)

このフレームで現代日本を分析すると、、、

就職がままならいフリーターや派遣会社の人々は、職場の集団的承認が十分得られないだけでなく、結婚によって親和的承認を得ることも難しいからだ。(157)

著者の言う「一般的他者への視点」の獲得とは?

社会的規範が極端に希薄化した現代社会を承知の上で、「複数の他者」と「私」が共通して「価値がある」と認めるような対象や行為=「他者の承認の規範」を認識する事と言えよう。他者の視点だけでは単なる周囲への迎合に墜落し、私の視点だけでは他者の承認返られず、他者と私のどれだけ高次の共通解を探り当てる事が求められていると理解した。そして探求すうことが生きる目的という事になる。

蛇足

誰もが認める一番高次の価値とは何か,考えてみる。