毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

世界を4象限に分けて眺めてみる~資本は他の象限と並列する一つの象限である

世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて (岩波新書)

現在の世界を覆う資本=ネーション=国家という結合体。この構造を交換様式から解明しつつ、それを超える方法を「世界共和国」への道として探っていく。

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 資本=ネーション=国家という結合体

近代の国民国家がそもそも資本主義のグローバリゼーションの中で形成されたということです。国民国家は、その内部だけで考える事はできません。それは常に、他の国家や資本との関係に左右されます。国民国家は、世界資本主義の中で、それに対応し、また、それがもたらす諸矛盾を解決しようとします。たとえば、資本主義経済は、放っておけば、必ず経済的格差と対立に帰結する。だがネーションは共同性と平等性を志向するものであるから、資本制がもたらす格差を解決するように要求する。そして、国家はそれを様々な規制や税の再配分によって実現する。資本制経済もネーションも国家もそれぞれ異なる原理なのですが、ここではそれらがお互いに補うように接合されています。私はそれを、「資本=ネーション=国家」と呼びたいと思います。

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国家~内部からは略取-再分配する機能、外部からは軍・官僚機構

国家が略取-再分配という交換様式を独占したとうことは、絶対主義王権の時期には、誰にとっても明らかでした。(113ページ)

ホッブスが国家の本質を分析する時)主権者に対する服従がそれによって安寧を獲得する交換であることを見抜いた。(118ページ)

(外部から)国家の自立性を端的に示すのは、軍・官僚機構という「実体」です。(121ページ)

 

ネーション~資本主義体制における想像上の共同体

ネーション=ステート(国民国家)は、世界資本主義の下で、世界帝国が解体されていく過程で生じたシステムです。(157ページ)

ネーションは、市民革命によって絶対的主権者が倒され、個々人が「自由と平等」を獲得するときに成立します。(162ページ)

ネーションとは、商品交換の経済によって解体されていった共同体の「想像的」な回復にほかなりません。(166ページ)

「資本=ネーション=国家」を四象限で分析

 

 

 

理想はDのアソシエーション~普遍宗教が担ってきた

アソシエーショニズム は、商品交換の原理が存在するような都市空間で、国家や共同体の拘束を斥けるとともに、共同体にあった互酬制を高次元で取り返そうとする運動です。

これが理念であって現実には存在しないということです。事実、それは歴史的には、普遍宗教(世界宗教)という形で現れました。・・・普遍宗教は開示をしたのは、国家や共同体にないような、「倫理」なのですが、それは新たな交換様式(アソシエーション)に他ならないのです。(89ページ)

 

 

柿谷氏は世界を資本=ネーション=国家が結合したものとみる。これらを超越する理想としてアソシエーションを掲げる。私が認識した事は資本、ネーション、国家の3つが違う理論で成立し、相互にその動きを補完しているという事。世界を4象限で見た時、時間の経過によりそれぞれの象限の大きさが変化する。現代は資本の象限が拡大していると仮定しよう。他の象限は資本を(制限する事も含め)どうやって補完をしているか、というフレームワークは有効である。

蛇足

国家は内側と外側で見える風景が違う