毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

我々は都市に住む脆弱な生き物である~90年前の水道の歴史から学ぶ

 日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 (PHP文庫)

竹村氏は社会資本整備の視点から活動する元官僚。2014年2月刊行。「日本全国の「地形」と「気象」を熟知する著者が、人文社会分野の専門家にはない独自の視点で、日本の歴史・文明・文化の様々な謎を解き明かす。」

 

日本の近代水道の歴史を丁寧に見ると、一概に日本の近代水道が日本人の命を支えたとは言えない。水道が凶器となり、日本人の命を脅かしていた時期があった。そして、その危険な水道が一転、日本人の命を救っていくこととなった

日本人の平均寿命は大正10年(1921年)に反転

 

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 乳児の死亡率が国民の平均寿命に影響

 明治末期から大正10年頃まで、乳児の死亡は増加し続けている。そして大正10年に乳児の死亡は減少に転じている。

 

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  データがある明治32年以降の乳児死亡率を棒グラフにして、そこに全国の水道の開始年を書き入れた。水道が普及するに伴い、乳児死亡数が増加している。大正10年に水道の塩素殺菌が行われると、一転して乳児の死亡率が減少している。(69ページ)

 

 大正10年水道の塩素殺菌開始、

 水道の原水は様々な雑菌を含んでいて、塩素で殺菌されて安全になる。殺菌されない水道水は、危険極まりない。大人は腹をこわす程度で済むが、体力のない乳児にとっては命の問題になる。改めて近代水道の歴史を調べてみた。驚いた事に、塩素殺菌がされないまま35年間も水道水の配布がされていた。(中略)(横浜市で水道供給が開始された)明治20年から大正10年までの35年間、水道が普及すればするほど、殺菌されていない危険な水が広く配られていたことになる。(68ページ)

 

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第20回 塩素消毒の効果 |東京都水道局

  

軍事技術液体塩素と、元細菌学者、元外交官、東京市長後藤新平

 それ(保土ヶ谷化学工業(株)の社史)には「1918年シベリア出兵に際し、陸軍から毒ガス製造を依頼された。それに応じて液体塩素を開発した。しかし、シベリア出兵はすぐに終了してしまったので液体塩素の使い道がなくなった。これを民生利用して水道水の殺菌に転用することになった」という内容が文語体で簡単に記されていた。(71ページ)

(ドイツ・コッホ研究所に留学経験を持つ)「細菌学者」後藤新平は「外務大臣としてシベリアで液体窒素」と出会った。彼は「東京市長」となり、東京水道の現状は目撃した。彼は、陸軍を抑えて軍事機密の液体塩素を民生へ転用する「権力」を持っていた。(77ページから再構成)

 

 乳児の死亡者数を減らす、社会的な要請を解決する事の影響力を実感する。人口増加は昭和初期の対外膨張策につながり、現在に至る長寿社会を形成した。もっと俯瞰して見ると人間は都市にすむ生物であり、社会的制度まで含めた都市環境に大きく依存している事に気づかせてくれる。

蛇足

 都市を情報空間まで拡張した場合、今は何が生物としての制約条件であろうか?