近代科学は「成り上がりのストーリー」の寄せ集めかもしれないという視点~いきづまった、と思った時に
近代科学と聖俗革命〈新版〉村上氏は科学史の研究家。本書の初版は1976年!
本書を以下の様に始める。
17世紀は偉大な世紀であった。今日我々が、自然科学という言葉で呼び慣わす知識体系の祖型はほとんど、この世紀に集中して形成された。
村上氏は世俗革命という概念を提唱する。私の言葉で言えば「我々はケブラー、ガリレオ、デカルトを今日的な視点、つまり科学者として見ている。しかしながら彼らはその思考の体系として様々なものを抱えていた「宗教者」「哲学者」でもあった。」「宗教的」あるいは「哲学的」と分類される領域を分離してきた過程が村上氏の言う聖俗革命であり17世紀~18世紀がその期間。
村上氏の聖俗革命
その第一は、知識を共有する人間の側の世俗がそれであった。神の恩寵に照らされた人間だけが知識を担い得る、という原理から、すべての人間が等しく知識を担い得る、という原理への転換である。第二の段階は、知識の位置づけのための文脈の転換であった。神―自然―人間という文脈から自然―人間という文脈への変化がそれである。その変化のなかで、科学と哲学とが、それぞれに独立するというプロセスが付随する。(34ページから再構成)
聖俗革命を円柱で説明してみる
一つの円を設定し、その円を底辺とする円錐を想像する。この類推を、西欧近代科学の歴史的推移に当て嵌めてみる。底辺はその出発点としての十七世紀ヨーロッパと考え、底辺に対して立てられた円錐の軸は、その後の時間の経過を示すものとする。円錐の頂点もしくは頂点に近い部分が「今日」である。十七世紀を底辺とする西欧近代科学は、しかしその後の経過の中で、その底辺のもつすべての可能性を保持、拡大してきたのではない。(中略)啓蒙主義が、今日我々が前提としている円錐を決定するのに最終的な役割を果たした。科学の蓄積性、逓増的進歩、唯一絶対的真理への斬近的接近と、歴史の円錐的解釈は一致する。(282ページより再較正)
A点:今日成功している立場
B点:今日では否定されている立場
C点:C点の周囲に知の体系があって初めてC点が存在していた。
ケプラーの持つC点とその周囲~たとえば今日的に非科学的な占星術
今日の正統的科学史の円錐の中にあっては、ケブラーは、正しい惑星運動の三法則の発見者としてしか評価されない。彼のもっていた調和の精神や、占星術や、ネオ・プラトニズムの伝統は、この円柱の光では証明されない。
「成り上がり物語」~A点だけから眺めればいいか?
科学史は「成り上がり物語」だというのは、今日成功している立場を前提にして過去のpすべてが評価されているからである。(281ページ)
A点などではなく、今日の円筒の載口全体の中で初めて捉えられるべきものである。つまり我々の科学にも、我々の科学が引きづっている「愚か」な部分が組み込まれており、そうした部分抜きの、純粋な科学理論を論ずることには、あまり意味がない。(289ページ)
多様な可能性の存在を認識する
西欧近代科学とは、実はもっとずっと多くの可能性を秘めており、そうした近代主義的=啓蒙主義的な解釈を乗り越える手だてさえも、自らのなかに充分内包しているとも言えるのである。(その為に我々は)安易に「東」を向くのではなく、もう一度「西欧近代」のもつ多様な可能性を探ってみなければならないのではないだろうか?(289ページから再構成)
科学的とは何か?歴史とは何か?絶対的なものが無い、という事、1点を見るのではなくその周囲を理解する、といった、当たり前の経験則に落ち着く。
「科学的に言えば、」あるいは「データによれば、」という表現は「成り上がり物語」でしかない。 あるいは逆に現在の科学は行き詰まっていると考えるのも点でしか見ていない証拠。
蛇足行き詰まった時こそ、俯瞰すれば解決策はみつかる。