毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

オペラと歌舞伎

第二次世界大戦は、オペラと歌舞伎を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった。(6ページ)

冒頭の破天荒な文章ではじまる。おしゃれをして、美味しいものを食べて、ひいきの役者を応援して、ゆっくり一日かけて歌舞伎を観覧、歌舞伎は贅沢な時間の使い方であり、戦争とは対局にある。

 新版 オペラと歌舞伎 (アルス選書)

 永竹氏は商社のイタリア駐在をへて、好きなオペラを研究してきた。

オペラと歌舞伎、それは普通の芸術ではない。人間が考えうる限りの美の道楽の極致なのであり、国民的エネルギーの巨大な消費なのである。一民族のエネルギーが”美への享楽に注がれた時に生まれたもの、それがオペラと歌舞伎なのであり、もし日本が鎖国をしないで、江戸時代に国土拡大に力を入れていたら相当国土は広がっていただろうが、歌舞伎は生れてこなかっただろう。(9ページ)

江戸時代に道楽の限りをつくして、産業革命と階級革命と植民地獲得をやらずして美の国を作ったのだから(中略)真剣に遊びを考えることのできるイタリアや日本が、教養としての文化だけでなく本物の道楽を世界に広めて平和な社会を作っていくことこそ大切なのだ。(229ページ)

 

冒頭の文章は「第二次世界大戦は、植民地を持つ国民国家と持たざる国民国家の戦いであった。」と言い換えられる。本書は歌舞伎とオペラの比較の構造を持ち、歴史的背景や演劇論を交えながらも薀蓄の数々により道楽としてのオペラと歌舞伎を説明する。「遊び人としての通」を披露、そして遊び人の戯言の様に重厚なテーマを分析する、この本の目的はオペラと歌舞伎の楽しさを伝える事である。

 

蛇足

鶴と亀の相生(あいおい)に、極楽往生いたすのもようござんしょうが、一天地六の賽の目次第(しでえ)に罷(みまか)りますのも、又乙なもんでござんす。(浅田次郎 プリズンホテル秋)

歌舞伎ではないが、好きな台詞の一つ。