毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

ウィーンとザッハトルテ

ウィーンと言えばドナウ川、音楽の都、ザッハトルテ(チョコレートのケーキ)

と言った所がイメージだと思う。

ザッハトルテの写真

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%86

 

作家の佐藤優氏の人間の叡智 (文春新書 869)192ページ

「日本という国家は、帝国主義のアナロジーで言えば、かつてのオースリア=ハンガリー二重帝国のハンガリーの位置を占めればいいのです。この場合アメリカがオーストリアです。ハンガリーがどうやって力をつけて二重帝国にまでもっていったのか。その歴史を学ぶ必要があります。」

調べてみるとオースリア=ハンガリー二重帝国は1867年~1918年とハプスブルグ帝国1273年からの645年にわたる最終期にわたる。

図説 ハプスブルク帝国 (河出の図説シリーズ) 加藤雅彦氏 

 この本を読んで幾つもの事を私なりに正面から認識できた。

①帝国とは多民族が集合して広い地域を統治する事(植民地主義と帝国主義はイコールでなない。)

②1814年のウィーン会議によりナポレオン後のヨーロッパに小国分割が導入された。

③ハプスブルグ帝国の消滅はその政治的な基盤が失われたからでなく、第一次世界大戦の戦後処理の結果であった。

加藤氏はp121にこう書いている。

「ハプスブルグ帝国の解体と消滅は、はたしてそのもとにいきてきた諸民族にとって幸せなことであったのだろうか?・・・ 中略・・・彼(イギリスのチャーチル元首相)はいう。ハプスブルグ帝国は、諸民族の通商と安全の役立ち、共通の生活を可能としてきた。」

 この本は図説という事で写真がふんだんに使われている。ウィーンはドナウ川という交通の要所に位置する600年にわたるハプスブルグ帝国の首都であった、という当たり前の事がイメージできる。(初版は1995年にも関わらず古さは感じません。)

ウイーンを行きたい所リストに入れました。