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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

歴史に学ぶ、とはどういうことか?~『 二十世紀をどう見るか』野田宣雄氏

 二十世紀をどう見るか (文春新書)

野田氏はドイツ近代史の研究家、社会主義の挑戦を退けた20世紀の主役・国民国家が、いま解体の危機に瀕している。(1998)

 

 

20世紀は帝国から帝国へ

20世紀が幕を開けたとき、世界にはまだいくつかの帝国が存在していた。・・・そして様々な考察を重ねた結果、20世紀は「帝国」復活の兆候をもって幕を閉じようとしているという結論に達した。・・・それぞれの広域秩序の核となっている国家の指導者たちが、多かれ少なかれ、かつて同じ地域に存在した帝国の歴史を意識していることは間違いない。(一部要約217ページ)

20世紀初め、帝国に死亡宣告

(死亡宣告の)第一の理由は、大衆民主主義の進展であった。・・・同時に<各民族はそれぞれ自分の国家をもち、自分の運命を決定する権利を与えられるべきだ>という民族自決の原則が闊歩した時代でもあった。(14ページ)

国民国家の弱体化

世界の先進国民国家は、ボーダレス化の進展にともなって一つの大きなディレンマに直面しようとしている。すなわち、自国の経済の活力を保つためにはボーダレス化の傾向に積極的に関わるほかはないが、ボーダレス化に身をまかせれば、みずからの主権国家としての基盤が掘り起こされるからである。(54ページ)

大戦後は、ケインズ的手法による経済成長の維持と社会福祉政策の拡充が、国民国家の重要な存在理由となったのである。したがって、それらが失われることは、とりもなおさず、国民を国家に引き留めていた紐帯の喪失を意味するだろう。(66ページ)

中世への逆行

国民国家が安心して帰属できる対象でなくなったとき、人びとは、歴史を近代から中世へと逆行し、近代国民国家の構成要素となった中世のエスニーに新たな精神の故郷を見出そうとしているのである。・・・グローバル化にいる国民国家の衰弱とともに、人びとは、エスニーのほかに本来の宗教にもアイデンティティの拠り所をもとめようとしているのである。(92ページ)

中欧帝国の浮上

冷戦が終結して再統一を果たしたドイツは、ほとんど間髪をおかず、かつてドイツ民族が東欧にもっていた植民の実績を回復する事業に乗り出した。・・・冷戦終結後の1990年代には、ドイツ政治家たちの念頭には、またもや(ドイツ帝国とハプスブルグ帝国を包含した)「中欧」広域秩序の樹立という、あのビスマルク以来の遠大な戦略目標が、かなりの現実味をおびて蘇ってきたのである。(171ページ)

中華帝国の再来

鄧小平は、緊密な近代主権国家の実現を断念し、中国の孫文蒋介石以前のルースな支配の形態に引き戻す道を選んだ。・・・中国史における統一帝国の支配は、その中央集権的な官僚体制にも関わらず、社会の底辺まで浸透することはなかった。・・・(鄧小平は)国家のコントロールを後退させて社会の流動性を促しつつ、市場経済に移行してゆくという「改革・解放」路線に転換したのである。(194ページ)

鄧小平の非凡さは、グローバル化という世界経済のまったく新たな潮流と、帝国という中国の伝統的な統治方法との深縁セイを見逃さなかった点にある。(191ページ)

20世紀をどう見るか

経済のグローバル化国民国家の弱体化を生んだ。人々は国民国家より大きな共同体と小さな共同体に精神的拠り所を求める。大きな共同体が広域な帝国化であり宗教である。小さな共同体とは地方・地域が独自性を主張することでもある。

本書は1998年(平成10年)の出版である。東西ドイツの統一(1990)、鄧小平の改革開放(1992)から10年を待たずして出版された。我々は最近の世界情勢、たとえばイギリスのスコットランド独立運動、ドイツの拡張政策、中国の中華思想、これらに野田氏の18年前の指摘が正しいことに気づく。野田氏は「歴史にいったん登場した事柄は、千年あるいはそれ以上の時間をへだてて、ふたたび別の脈絡のなかで意味をもちだすことがある」(87ページ)という。歴史の流れにとっては10年は誤差のうちである。

蛇足

歴史は繰り返す

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