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毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

自己責任とは、強者の自己保身である~『この国の冷たさの正体』和田秀樹氏(2016)

この国の冷たさの正体 (朝日新書)

和田氏は精神科医、なぜこの国はかくも殺伐としているのか?
個人、組織、そして国家、どの位相でもいびつな「自己責任」の論理が幅を利かせる。 「自由」よりも強者の下で威張ることをえらび、 「平等」より水に落ちた犬を叩く。 私たちを取り巻く病理を全解剖。(2016)

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自己責任

自由の対価としての責任ではなく、「オレは責任を取らないよ」と弱者に責任をおしつける保身と欺瞞の言語。それが「自己責任」です。

自己責任論がはびこるところには、必ずそれによって恩恵を受ける強者がいるということ。彼ら強者が責任回避の隠れ蓑として自己責任論を持ち出すのです。(42ページ)

自己責任というのは、何の法律的根拠も持たない、感情論または道徳論なのですから、従う必要はないはずです。(138ページ)

生活保護

厚生労働省の資料によれば、2012年度の生活保護支給額は、3頭6028億円ですが、不正受給額の割合は0.53%しかありません。(18ページ)

日本の生活保護費用は14年度には約3兆8千億円に増えましたが、多くなったといってもGDPに占める割合は1%にもなりません。

日本は生活保護の受給資格があるにもかかわらず、もらっていない人が約8割もいるといわれます。テレビでは、本来受給すうる要件を満たしていない人が受給すると声高に報じますが、そもそも救われるべき人が救われてない現実は(TVでは)報じません。情報源がテレビしかない人は、テレビによって、自分の考えをミスリードされるということになります。

生活保護以下の収入や年金しかないのに生活保護を受給しないのは、権利があるのにそれを放棄していることになります。自己責任論というのは無知に付け込むことが特徴ですから。気をつけなければいけません。(137ページ)

物乞いのいない社会

現代が、とても厳しい時代だなと思うのは、街からいわゆる「物乞い」がいなくなったことだと思います。もちろん、「ホームレス」はいるのですが、何かしらの「仕事」をしています。空き缶や雑誌を拾って、一生懸命生きているのです。つまりは、お金をくれる人が少なくなったのではないかと思います。・・・もっと社会的な弱者にやさしくなるほうが、結果的に自分を守ることにつながる。このことを私は強調したいと思います。(174ページ)

人間は生きているだけで「迷惑」

私たちが自分でできる戸籍関係手続きは、婚姻届と離婚届だけです。死亡届も出生届も、自分では出せません。考えてみれば、人間は生まれてから死ぬまで人の助けが必要です。「迷惑」をかけてばかりなのです。・・・生きてい限り、道ですれ違う人にぶつかり、地球の資源を消費し、プラスであれマイナスであれ、他人の感情を揺り動かさずにはいられないのです。私は生きているだけで「迷惑」の塊だと気づくことが大事だと思います。(187ページ)

自分の人生まで冷たくしないために

日本の貧困率は14.9%に達する。今や非正規雇用者数は全体の40%、人はいとも簡単に貧困に陥る。それなのに生活保護を申請しない人は受給可能者の8割だという。これは社会に生活保護を受けることは恥ずかしい、情報を遮断され生活保護を受ける権利を知らない、など我々の知らない所でこの国は冷たい社会になりつつあるのである。

自己責任とは自由の権利の反対の責任として存在するものである。仮にある企業の業績が悪化したとして、非正規雇用者に何等かの責任があるのであろうか?企業は非正規雇用者に自己責任にふさわしい判断機会と報酬を与えているのであろうか?立場の強い者が立場の弱い人に対して発して良い言葉ではない。

和田氏は本書で自己責任に陥いるな、と説く。人間は生まれてから死ぬまで「迷惑な存在」であり、誰もがいつかは誰かに迷惑をかける存在だと受容することが重要という。

そうすれば我々はもっと他人に優しく、皆が「健康で文化的な生活を営む」権利を追求するこができる。「何があっても自分を責めない」、自分で自分の生活まで冷たくする必要はどこにもない。

蛇足

自己責任を唱えるのは強者の論理

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