毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

もしあなたが中世のヴェネチア商人だったら何をしますか?~『港の文化史的意味』会田 雄次 氏(1974)

論集・日本文化〈2〉日本文化と世界 (1972年) (講談社現代新書)

会田雄次氏の「港の文化史的意味」の章より、海洋商人と農民意識の比較を行っている。(1974)

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ヴェネチア商人

 

 

中世、とくに13、4、5世紀のヴェネチアは、富強を誇る大商業帝国になっていた。なにしろ当時、十字軍以来、急速に発展したヨーロッパの東西貿易をほとんど一手に引き受けることになったのだ。最盛期の人口28万人、ロンドン、パリをのぞいて、人口10万人に達した都市が一つもなかったことを考えれば、驚異すべき大きさだといえよう。ただ大きいだけではない。ここには、アルプス以北の君主、大諸公に匹敵する豪華な生活を誇り得る富豪が千人以上住んでいたといわていた。この繁栄を支えたのは、胡椒を主とする香料貿易である。東南海の香料諸島やインドから、丸木舟、ジャンク、ラクダと積み替えられ、あらゆる商人の手に転々と売りつがれた香料は、やがてエジプトのアレキサンドリアに集められる。そこに最終的な、そして最大の利益の独占者であるヴェネチアの商船隊が待ち構えている。積荷を満載した各船は帆をいっぱいにふくらませながら、次々とヴェネチアに到着し、ここからヨーロッパ各地に散っていく。(131ページ)

 

海洋商人

 

 

(海洋)商人たちは、商品は取り扱うが、その利益は、商品の買値とほとんどかかわらない。売値にかかわるのである。その売値は、買値の数倍、数十倍、数百倍になる。そのような市場を開拓していくところに海洋商人の使命と自負がある。古代ギリシャ人がそうだった。フェニキア人がそうだった。ヴェネチア商人もそうだった。(136ページ)

 

海洋商人が活躍する所

 

 

港、それは海の精神と(相反する)陸の精神の結節点でもある。同時に、このむしろ相反する精神が激突し合う場所でもある。(139ページ)

 

陸の精神、農業

 

著者は陸の精神の究極の形として農業を比較する。農業は安全第一、恒常性を尊び、そして連帯して行動する。海洋商人がリスクをとり、変化と飛躍を尊び、孤独を生き甲斐にする。農民意識と海の商人は真逆という事になる。

「私たち日本人は、世界でも稀といってよいほど純粋農民的な歴史を持っている」(133ページ)我々は農耕民族である、といわれる。そして農耕民族の反対は狩猟民族を思い浮かべる。対比すべきは海洋商人のイメージなのかもしれない。現代の資本主義社会を前提にするなら海洋商人がより親和性があろう。

著者はまた「海洋商人が海運を失って、ただ高利貸と「青田買い占め」に依存する立場に落ち込んだときは、どれほど陰険なものになるか。」と指摘している。金融資本主義の持つ限界は中世の時代から今日まで代わっていない。

農民意識と海洋商人、どちらが正しいのではない。世界には二つのコンセプトがある、この二つの違いを知っておくことに意味がある。

蛇足

 

自分はヴェネチア商人だと仮定してみる。

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