脳科学でいうクオリア(感覚質)とは何か?~行き着いたのは東洋的な「心眼」という発想法
「クオリア」を知ろうと思い手にする。
クオリア入門―心が脳を感じるとき (ちくま学芸文庫)“私たちの心のすべては、私たちの脳のニューロンの発火に伴って起こる「脳内現象」にすぎない”。
クオリア(本書299ページより)
「赤い色の質感」、「ヴァイオリンの音の質感」など感覚を特徴づけるユニークで鮮明な質感を指す。脳の中のニューロンの活動という物質的過程から、どの様にしてこのような質感が生まれてくるかが、心脳問題の本質である。
志向性(本書282ページ)
志向性は、前頭前野や高次視覚野から低次視覚野へ向かう逆方向のシナプス投射で実現されている。志向性は、色や音のクオリアのような生々しく鮮明な質感を伴わない、抽象的な感覚として知覚される。
両眼視野闘争(307ページ)
左目と右目から入力した視野情報は、そのうちの一方だけが視覚的アウェアネス(認知)の中に現れ、「心に見えるもの」になる。通常は右目と左目のどちらかが勝つかは安定している。(以下略)
左目と右目で入ってくる情報が違う~脳はどちらかを選択Binocular Rivalry 3D (innerspace) - YouTube
本書「クオリア」モデルをまとめると、
- 視覚情報は脳のニューロンの発火という物質現象を生じる
- ニューロンの発火は他のニューロンの発火との関係性によって意味が生じる
- ニューロン同士の関係性を示す概念が「志向性」によって形成された「クオリア」という概念
私なりにクオリアを使って「リンゴをみる」を表現
私がリンゴを見ると、その視覚情報は経験を通じた志向性により、「赤い色をしており、手にとれるものであり、食べられるもの」というクオリアと一致する。両眼視野闘争からわかる通り、脳は視覚情報を取捨選択している。視覚情報とクオリアが一致する事で視覚情報が始めて認識される。
要は見たいものを見、知っている事が見える、という事。
クオリアをめぐる論争(Wiki)~そもそもクオリアはあるか?
クオリアは脳の働きをシナプスという物理現象で説明できるか、という議論から始まるモデルである。物理現象によってすべて説明できないとすればその部分がクオリア。私の理解で言えばクオリアは分子と同様にモデルにすぎないという事。分子が原子と電子を組み合わせた(物理的な粒子としては存在しない)抽象概念と同様、クオリアもまた物質としは存在しない抽象概念であるという事。モデルという抽象概念に存在の有無を問うても無意味である。
蛇足
我々は「心眼」という表現を使う。