相手の言葉に"いらっと"した時思い出す言葉「ただの言葉なんてない ! 、解釈は様々」~コミュニケーション理論の古典が説明する事
野村氏はベイトソンの研究家。
ベイトソン~1904~1980米国の文化人類学者
人類学的調査では、ひとつの人間集団を、内的関係性のダイナミックスという視点から分析する方法を切り開いたが、この思考は、その後サイバネティックスの創立に関与しつつ研ぎ澄まされた。「ダブル・バインド」という概念を生みだした。
ただの言葉なんてない、必ず文脈がある
ダブル・バインド(二重拘束)
広辞苑では「異次元の相矛盾する二つのメッセージを受け取った者が行動不能に追い込まれた状態」。著者は「Aという言語的命令が、Bという非言語的指示と相矛盾し、しかもその矛盾を指摘することが許されない状態。」と説明する。(126ページ)
①自主的に行動しろ(ダブル・バインドの例)
私があなたに「自主的に振る舞え」と口頭で命令を下す。あなたはそれに従って自主的に行動する。そうするとそれは命令に従っているのであって自主的な行動と言えるか?あるいは命令をした私が「それはやりすぎ」と非言語的に不快感を示したらあなたはどうしたらいいか?何をしても矛盾な状態を招してしまう。
②抽象の度合いの違う言葉遊び(ダブル・バインドの例)
赤く細長い積み木を鉄橋に見立てておもちゃの電車を走らせている子供。「ママ、見て見て、これが赤い鉄橋だよー。がたん、がたん」。ママは応えて「そうね鉄橋ね、すごいねー」。次の日同じ様に遊ぶ子供にママが「あっ、鉄橋だね、カッコイー」。子供が応えて「ううーん、違うよ。これは積み木だよー?」とママを言い負かして勝ち誇る。
ダブル・バインドは抽象度合いの違う言語、あるいは言語と非言語といった違うアプローチによって発生する相互の関係性の事と整理できる。そしてそれは相互の関係性は曖昧さと不確実性を内包している。
科学におけるフェィードバックという視点
フィードバック(とその連鎖としてのインターアクティング:相互作用)を前提とした視点はサイバネティクスの登場まで、科学の世界では明確に位置づけられることはなかた、AからB一方的に向かって働きかけた矢印(→)「直線的因果論」はサイバネティクスの登場とともにもう一方からの矢印(←)「円循環的因果論」とつながった。科学としてもの一つの←を引くのに、人類はおよそ2千年かかった事になる。(24ページ)
哲学の世界におけるフィードバックの視点
正法眼蔵成「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法をすすみて自己を修証するはさとりなり。(自分を中心にしてものごとを計らうのは迷いである。あらゆるものごとが自分を明らかにするためにやってくるのが悟りである。)
ベイトソンの引用
「重量を説明するものか。それはね、ないんだ。なぜなら重力が一つの説明原理だからだよ」(39ページ)
「ただの言葉なんてものはないんだ。そこが肝心な所さ。言葉はいつも身振りと口調に包まれている。」(53ページ)
「会話にも輪郭はあるともさ。ただ終わらないうちは見えない。輪郭というのは、内側からは見えないものなのだ。(105ページ)
ベイトソンのコミュニュケーション理論
コミュニュケーションは応答的、相互作用的なものだというのがベイトソンの言いたい事。
コミュニュケーションの単位は個人ではなく、個人と相手、そしてその先にある背景、といった関係性をコミュニュケーションの単位で捉えるという事になる。
相手を個人として捉えるのではなく、その背景との関係性の中に捉える。相手と私の関係として捉えるのではなくその背景として捉える。「背景」は常に動いており、そして視野の大きさによってまた見えてくるものも違う。「言葉」ですら断定的に捉える必要はない、その抽象性あるいは文脈で解釈の仕方はあるという事。
蛇足
変わらないもの、それは日々変化しているという事。