毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

1000年単位で大儀で名を残す方法~1000年前の書に学ぶ

 仕事に効く 教養としての「世界史」

出口氏は読書家で知られる経営者。

 

「歴史はなぜ中国で発達したか」の章の議論を紹介する。

紙~書く事=「歴史」を残す為に

東漢(後漢)の時代になって、蔡倫という人が、それまでに利用されていた筆写材料を改良して、紙という革命的な筆写材料を完成させました。紙は大量生産が可能で、かなりの耐久性があって、軽くてよく残るので、転写もしやすく、これで歴史が残せるようになった。

 

秦の始皇帝に始まる文書行政

始皇帝が作ったシステム、中央集権性は、自分の考えたことを全国に行き渡らせるために中央から官僚を送り、いわば知事にする訳です。全国の知事を皇帝が任命するのですから、彼らを思う通りに動かすためには、大量の文書で指示を出さなければならない。文書行政を核として統治を行うとしたら、漢字という表音文字は強力な武器になります。漢字には多くの情報量を埋め込むことができる。ツィッターを見たらわかります。140文字の中で書くとき、「情報」は二文字、「infomation」は11文字です。漢字は表意文字なので、文書行政にしても少ない文字でたくさんの事が表現できる訳です。

 

歴史に名を残したい~為政者の心

歴史が間違いなく書かれるに違いないという事を本人が強く意識しているからです。歴史が残るという事は、ある意味ですごくおもしろいことです。王位を簒奪したが故に、必死にいい政治をしようとする。クビライも明の永楽帝もそうですね、そうすることで天命はもともと俺にあったんだと歴史に残そうとする。負い目が逆にばねになって善政を行う。(38-57ページより再構成)

 

歴史を書いて名を残す~黄州寒食帖

私は台湾故宮博物館の書「寒食帖」を思い出す。蘇軾(1036-1101)は宋の時代の詩人、若くして科挙に合格し将来が期待されるも、清濁併せう飲も事のできない性格から地方に長らく流刑となっった人物。

蘇軾は「我黄州に来りてより、すでに三寒食の年が過ぐ」の書き出しで始め、巻末に1m以上の余白を残した。「500年後の後人が跋を付け加えるを待つ」、と。その20年後宋の時代の四大大家のもう一人である黄庭堅が「詩は李白に勝る」と跋文を記す。四大大家の2名がそろったこの書は「天下第一の書」と言われるに至った。

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国立故宮博物院-コレクション > セレクション > 書法 > 寒食帖

 

様々な人物による跋文が1000年の間に書かれており、その中には日本の漢学者、内藤湖南(1917)も書いている。正に「歴史を書いて名を残す」である。

 

歴史に名を残す為に災いを残す為政者は本末転倒。長期間の視点で政治(まつりごと)に取り組み、歴史に名を残すのが本来。寒食帖から分かる事、人間は名を残したいという本性がある、それを隠す必要は少しもない。エゴと大儀は紙一重。

 

蛇足

人の記憶に名を残す、大儀の為に行動する事