毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

国といえども空間と時間、そして権威の中で相対的なもの~'89ベルリンの壁崩壊と大宮独立運動(!)より

 

消滅した国々―第二次世界大戦以降崩壊した183ヵ国

吉田氏は香港で取材活動に従事、日本に帰国後、2007年に「大宮の自治と独立」を掲げて、さいたま市議に当選。「傀儡国・独立勢力・作り損ねた国々…等々、珍国多数。怪しく・儚く・そしてどこかマヌケな今は無き国家達。現代史・国際政治トリビア・ウンチク・豆知識、超絶エピソードのオンパレード。」

 

本書の副題は第二次世界大戦後崩壊した183国となっている。その一つ一つについて迫った700ページに及ぶ大著。

 

東西ドイツが消滅した背景~経済格差

東西ドイツ分裂の41年間、東ドイツから亡命した人間は3万名を超えたという。西ドイツと東ドイツの経済格差が根底にあったが東ドイツは東西ドイツ共存の道を探っている中で1989年の天安門事件から緩和路線が停滞するのではとの思惑から西側への亡命が加速していた。

ベルリンの壁崩壊は失言から

(東ドイツの)クレンツ政権は国民の不満を和らげるために、急遽西ドイツへの旅行制限の緩和を決定した。それまでは特別な事情が無い限り許可されなかった出国ビザを、特別な事情が無い限り許可することに決定し、(記者会見で充分な準備も無いまま)「直ちに実施」と答えてしまった。テレビを見た市民がその夜のうちに数万人の東ベルリン市民が西ベルリンへ出国。さらに浮かれた東西双方の群衆たちはハンマーを持ち寄り。「もうこんなもの、いらないだろ!」とその場でベルリンの壁を壊し始めてしまった。

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ドイツ大使館 ドイツ総領事館 - ベルリンの壁 フォトギャラリー webapp

ドイツ政府は権威の為にも「喜びをかみしめる人々」と表現したいのだろうが、吉田氏の記述を読んだ後は、「悪のりをしてお祭り状態」とキャプションを付けたくなる。

吉田氏の「あとがき」から

香港の新聞社につとめ、ジャーナリストとして植民地支配の実態や、アジア各地の地域紛争は独立戦争などを取材していた私だったが、10年ぶりに帰国して大宮に戻ってみたら、大宮市はさいたま市に変わり、なんと浦和の植民地と化してした。

さいたま市の成立

大宮市と与野市浦和市が合併し、さいたま市が成立したのは2001年のこと。国鉄大宮操車場跡地(現さいたま新都心)への「首都機能移転」や「政令指定投資」をエサに、平成の大合併のモデルとすべく国策に踊らされ、住民の意向を無視して誕生したのが、さいたま市だ。

そこで私が掲げているのが「大宮の自治と独立」、つまり究極的には独立(大宮市の復活)を目指しつつ、当面の目標として自治権の確立を求める方針だ。

 

独立又は統合に失敗した国々

本書で採り上げた消滅した国々の多くは、自治や独立に失敗した、もしくは別の形で実現した地域だと言える。独立紛争と言えば民族や宗教の対立に焦点が当てられがちだが、現実には「自分たちの地域の富は、自分たちの地域のために使いたい」「自分たちの地域のことは、自分たちで決めたい」という自然な欲求が背後にあるケースが少なくない。また「大国や支配者によって分断された民族の統一を通じて、自治の現実から独立へ」という流れは、普遍的な戦術でもある。

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国境も国も絶対的なものではない

東西ドイツ、そしてさいたま市からわかる事は国といえども絶対的なものではない事。国の定義は3つの要素、領土・国民・公権力があって成立するものだが、領土・国民・公権力の3つがすべて時間軸と空間軸の中では相対的な存在である。こんなに沢山あるのだから、、。

蛇足

ベルリンの壁の崩壊は生死を賭けたドラマだと思い込んでいないか?