毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

写実絵画は科学として始まった~『 一六世紀文化革命』山本義隆氏

 一六世紀文化革命 1

山本氏は科学史の研究家、16世紀、活版印刷は教会によるキリスト教の独占を打破した。そしてそれは他の業界にも広がっていった。(2007)

 

16世紀文化革命

中世における科学と技術の断絶状況を打ち破ったのは、芸術家や職人・技術者そして外科医、さらには町の算数教室の教師や船乗りたちの学問世界への越境であった。彼らは俗語による執筆活動をとおして、ラテン語により守られていた大学アカデミズムによる知の独占に風穴をあけていったが、それは・・・新しい知のあり方を示すものであった。すなわち、彼らは自分たちの技術の秘密を文書化して公開し、それまで蔑まれてきた手作業・機械的技芸の価値を明らかにしただけではない。そこで逢着した諸問題にたいして合理的な考察を加え、そのことによって、実験的観察と定量的測定こそが自然研究の基本的方針であるべきことを主張し・・・経験重視の科学の重要性と有効性を明らかにしていったのである(2巻あとがき731ページ)

中世絵画

そもそもが中世キリスト教社会では、世界のさまざまな事物は信仰篤き者にたいして神が送ったメッセージであり、目に見える事物は象徴としての意味しかもっていない。それゆえ現実世界に対しては、そこに隠されている意味の探求にもが求められたのであって、世界の忠実な描写という意味での写実を促すものは、もともとなかった。・・・描写されるべき対象は自然物ではなく、言うなれば魂のイメージであり、人物や事物の大小関係や空間的関係はもっぱら抽象的ないし寓話的な意味で決められていた。(42ページ)

芸術家にはじまる

アカデミズムと無縁に育った職人が、おのれの仕事を理論化し自前の言語で公表するという16世紀文化革命は、もともとはこのように職人として蔑まれていた画家や彫刻家に始まる。・・・当時の先進的な美術家は、絵画や建築に学的根拠を与えることで二つの文化の越境を企て、文化のこの二重構造を打破しようと努力したのである。それは彼らがギルドの覇束を脱して自立した芸術家としておのれを確立してゆく過程とパラレルに進められた。(34ページ)

 アルブレヒト・デューラー( 1471- 1528)は、ドイツのルネサンス期の画家、版画家、数学者。(Wiki

デューラーが出版した絵画技術の説明

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デューラー自画像

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16世紀文化革命

山本氏は華々しい17世紀の科学革命の前の世紀に注目する。それまでの中世社会においては知識はある特定の集団に独占されていた。キリスト教カトリック教会によって、学問は大学によって、建築家や画家などの職人はギルドによって独占されていた。グーテンベルグの印刷機によってカトリック教会の独占が崩れたことは良く知られているが、他の業界においても知識の一般化が行われていた。山本氏は本書で、画家、医学、鉱山、商業数学、機械、天文学・地理学などについて説明するが、その冒頭が画家である。

絵画はキリスト教秩序のイメージを具体化させるものであり、正確な写実の必要が無かった。これらを脱し、1点から眺めた可視的世界を描こうとしたとき、それは科学であり数学であった。絵画は正確に可視的世界を写しとる科学として始まったのである。いわゆる透過遠近法により絵画はより正確な情報を伝達することとなり、この絵画技法は書籍にまとめられ情報を拡散させた。書籍の挿絵には遠近法の技法が図示されていた。更に、写実的な絵画技法は医学や天文学などあらゆる分野の書籍に挿絵として活用され情報の拡散を加速させていた。

16世紀文化革命は知の独占を打破し、それが17世紀の科学革命に繋がっていた。

蛇足

写実絵画は科学だった

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