毎日1冊、こちょ!の書評ブログ

2013年8月から毎日、「そうだったのか」という思いを綴ってきました。

人間とはエントロピーを増大させる、”渦巻き”である『私たちはどこから来て、どこへ行くのか: 科学に「いのち」の根源を問う』森達也氏(2015)

私たちはどこから来て、どこへ行くのか: 科学に「いのち」の根源を問う (単行本)

 

 森氏は作家、人とは何か。人はなぜ死ぬか。宇宙に終わりはあるか。福岡伸一池谷裕二、村山斉などの第一線で活躍する科学者たちに問うことで、人と科学の根源に挑む。(2015)

結局のところ、科学は未だWhyに答えていない

結局のところ科学は、最初のWhy,「なぜそれが存在したのか」にどうしても答えることができないので、How(いかに)のほうを一所懸命考えることによって、ある意味ごまかしているだけです。大いなるWhyに答えようとすると、物語としての言葉は大雑把になって、「神さまがつくりました」とか「宇宙の意思がつくりました」とか、いろいろなことになります。だからこそできるだけそういった言葉を禁欲して、Howを解像度の高い言葉で説明しないかぎりは、Whyに到達できないと思うのです。(福岡伸一35ページ)

エントロピーと生命

(宇宙)全体として(エントロピー)は増大していますよ。つまり質は落ちています。でもその途中に、少し小さい渦巻きをつくるんです。それを生命活動と考えています。・・・一升瓶の中に水が入っているときに、逆さまにしてゴボゴボとやるよりも、(瓶を回して)渦巻きを作ると早く抜ける。だから(局所的に)構造をつくることで、熱やものが速く移動するわけです。局所的にはエントロピーが減っているように見えるけれど、全体的には(エントロピーが)増える速度が増しています。(長沼毅202ページ)

人はどこから来てどこへ行くのか

森氏は10名の科学者に「人はどこから来てどこへ行くのか」という質問をする。科学はHowを精緻化し説明できる領域を劇的に広げてきた。それでも根本的な問題である、Whyに対し、科学は何ら答えていない。人間が常に考え続けてきた、なぜ存在するのか?という疑問は依然として疑問のままである。

長沼氏が説明に用いたエントロピーと生命の説明については腑におちた。宇宙全体で、エントロピーは増大し続けている。しかし地球だけ見ると、あるいは生命だけを見ると、構造を持つことによってエントロピーは減少している。それは水の流れに生れる“渦巻き”のような存在なのである。地球は、あるいは生命は、局所的な構造となって宇宙のエントロピーが増大するのに貢献している。

本書275ページでも同様に、森氏は池谷裕二氏と「そもそも宇宙はエントロピーが増大することを望んでいるのか?」という問いかけをしている。どうして宇宙はエントロピーが増大しているのか?人間は、このWhyに回答する答えを探している。

蛇足

人間は宇宙の誕生と終焉に立ち会うことはできない。

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